■バルキース・シャラーラと記憶のかばん:イラク人の食とリフアト・チャーディルジーの香りについて
【ムハンマド・トゥルキー・ラビーウー】
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そして、この母方の祖父はトルコ人だった第二夫人の高級椅子に座ることを晩年まで頑なに拒み、地面に座る方を好んでいたと知る。孫のリフアトによれば、これは近代性を拒否し、土地やベドウィン、部族主義といった価値観に固執し続けたイラク人のメンタリティの性質を示しているという。この点については、伝記の著者はリフアト・チャーディルジーの思想に対して特に議論を呈してはいない。むしろ彼女自身は、リフアト曰くムウタジラ派の周縁化がもたらしたイスラーム建築的知性全般の危機をめぐって、彼の見解のほとんどに同意していたことがみてとれる。「一方でベドウィンの知性は絵画や彫刻、写真に代わるものとして言語を発達させることを好んだ」(『建築の役割』)。
また別のところでリフアトは、建築を研究する際には「宗教として」のイスラームと文明的イスラーム、すなわち彼が求める合理的なイスラームを区別する必要性を強調している。「(リフアトの考える)合理的イスラームの文明は、その歴史の初期、すなわち15世紀までは優れた形態を創造することができていた。その後生産の質は低下し、従来的かつ反復的なものとなった」。しかしながら、ここでのリフアト・チャーディルジーの言葉は、一方で、宗教的(スーフィズム)・ジェンダー的観念やそれがイスラーム建築レベルに及ぼした影響(社会学者のアブドゥッサムド・ディヤールミーの議論*『住居・性・イスラーム』などを著す。)を否定することはできていない。
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