■玉ねぎを讃えて
【エリアース・ハウリー】
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玉ねぎは涙を防ぐものではなく、むしろ涙を出させるものである。しかしレバノンでの我々の状況において玉ねぎは、治安部隊の砲弾から発散されるガスによる窒息に対して効果的な武器であった。涙には涙で対抗していたのだ。ガスの催涙効果を玉ねぎの涙が消した。
ものはものを想起させるため、玉ねぎを手にする人々の光景に私はギュンター・グラスの小説『ブリキの太鼓』に出てくる玉ねぎ地下酒場を思い出した。
同小説の中で、このドイツ人小説家は玉ねぎ酒場と呼ばれる酒場を想像した。この酒場は客に様々な種類の酒を出す代わりに、一種類のものしか提供しなかった。客は玉ねぎがいくつかが載った皿とナイフを渡される。客は目にしみる玉ねぎの皮をむき、独りで座って泣かなければならない。このようにしてドイツ人は、第二次世界大戦中にナチスが犯した罪を償うのである。
玉ねぎ酒場というアイデアは素晴らしく、私はこれをイスラエル人に提案することを思いついた。この酒場で彼らは、パレスチナ人の権利に対するシオニズムの数々の罪を省みることができるだろうと。しかし、時期尚早だと私は断念した。玉ねぎ酒場の美学に至る条件は敗北なのである。もしもドイツの敗戦がなければ、こうした玉ねぎもあり得なかっただろう。つまりイスラエルはまだこのレベルに達するほど成熟していないということなのだが、いつかきっと到達する日がくると私は確信している。
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