■想像されるカイロ:映画と現実の狭間にある都市の姿について
【ムハンマド・トゥルキー・ラビーウー】
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この文脈で、ニザール・サイヤードとムハンマド・サラーマはナギーブ・マフフーズの映画的カイロを研究する。ナギーブ・マフフーズほど、のちに映画化されたその小説作品において真正性と変化の間で揺れる都市を表現した作家はいなかった。エジプトのハサン・イマーム監督はマフフーズのカイロ三部作(『双宮の間』『欲望の宮殿』『スッカリーヤ』)を映画化した。一作目の『双宮の間』で、アフマド・アブドゥルガワード氏は妻のアミーナに対し、母親を訪ねる以外の外出を永久的に禁じている。監督は、鳥小屋がある一家の家の屋上に光を当てることを選んだ。そこは妻と二人の娘たちにとって男性たちの支配から逃れて娯楽に興じたり隣人たちと交流したりできる場所なのである。同時に、そこは禁じられた愛の可能性を若者たちにもたらす場所でもあった。この映画は、20世紀初頭の旧市街で起きた変化の瞬間のひとつを捉えている。旧市街中心部の外れに新たな地区が伸長したことで、裕福な家庭やエリートはマスル・ガディーダのような新たな郊外へ移り、中流階級とそこに属する商人たちが代わって前者を占めるようになった。映画のなかで、ヤフヤー・シャーヒーン演じる父親のアフマド・アブドゥルガワード氏は、家庭内の男性支配にありがちな伝統を要約する存在である。彼は、妻が自分の命令に反抗するとは思ってもいないのである。
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