■想像されるカイロ:映画と現実の狭間にある都市の姿について
【ムハンマド・トゥルキー・ラビーウー】
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二作目の映画では、一家の息子の一人がイギリスの占領に反対するデモの最中に殺され、長男ヤースィーンの離婚の話題に大部分の重点が置かれる。一方三作目の映画では、家族のメンバーがどんどん増えていく。このように映画のストーリーを通じて、カイロ大学のドームや通り、女学校、外国様式の建築が映され、近代カイロが徐々に姿を現すのである。そして屋上はもはや恋人たちの逢瀬の場ではなくなる。家族はスッカリーヤ地区へ移ってアパートで暮らしており、建物の階段の下の方は許されない男女交際に使われている。また一作目の映画では、父親がテーブルについている時、妻と娘たちはその後ろで立って食事の用意をしながら男性の家族全員が食べ終わるのを待っていた。しかし『スッカリーヤ』の時代になると、これらヒエラルキー的な光景は消えた。
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