■想像されるカイロ:映画と現実の狭間にある都市の姿について
【ムハンマド・トゥルキー・ラビーウー】
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別の章では、アカデミックな建築家であるタイスィール・ハイリーが、1980年代半ばに公開された2つの映画を通じて都市からの逃亡という考えを論じる。1つ目は、1984年のムハンマド・ハーン監督の「行きて帰らず」、2つ目はムハンマド・アブドゥルアズィーズ監督の「ここがカイロ」である。これら両作品では、都市生活者と農村生活者という2人の際立った登場人物が体現する2つの異なる視点を通してカイロでの生活が経験される。1つ目の作品では、家族を持つためアパートを買おうと奔走する、ヤフヤー・ファフラーニー演ずる中流階級出身の若者アティーヤをめぐって出来事が繰り広がる。カメラはゴミでいっぱいの貧しい地区での彼の生活を映し出す。ある日、アティーヤの婚約者が彼を家に昼食に誘う。彼女の母親はその場で、7年にも及んでいた婚約期間の長さについて不満を口にする。そこで主役アティーヤは、彼の財産である農地を売るため2日間田舎へ出かけることを決める。車は彼を乗せてカイロを離れ、視界に見える景色は高くそびえたつ新興住宅のコンクリートの塊から、緑の広がる農地へと少しずつ変わっていく。田舎へ着いた途端、彼の気分はよくなり始める。
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