カイロ:映画と現実の狭間にある都市の姿(9)

2022年04月29日付 al-Quds al-Arabi 紙

■想像されるカイロ:映画と現実の狭間にある都市の姿について

【ムハンマド・トゥルキー・ラビーウー】

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この興味深い一冊の別のある章では、建築家のマリヤム・マルイーが運転席から見たカイロのイメージの読解を試み、運転手が自らの視点からカイロおよびそこでの生活様式をどのように見ているのかを理解しようとしている。この点を扱おうとした映画は数多く、例えばマフムード・ハミーダが出演している1996年の「アスファルトのイフリート」は、父と祖父からこの仕事を受け継いだサイイドの物語である。彼は貧しい地区のアパートに両親と暮らしており、ガミール・ラーティブ演ずる父親と交代でマイクロバスを運転している。映画の中でサイイドは同じ地区の床屋の妻と関係を持ち、一方サイイドの妹インシラーフは、サイイドの友人リンゴと関係を持つ。混雑しているようには思われない道路(マアーディー・ヘルワーン道路)で車を走らせていると、運転手らはイフリートのように見え、現実ではない幻想の世界を進んでいるかの印象を与える。またマイクロバスの停留所ではあちこちに活気が溢れて人がひしめき合っている。マクハーがあり、言い合いがあり、陳腐な語彙を使う様々な音楽がある。建築家のマルイーによれば、この映画はカイロが近代からポストモダンの状態への脱却の時期を生きているかのように見せているという。

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翻訳者:下宮杏奈
記事ID:53988