■バディーア・マサーブニーのカジノ前では競争禁止…エジプトの通りを走る自転車の歴史
【マフムード・ディスーキー】
(4)に戻る
1920年代、エジプトでは自転車が運輸と郵便において普及した。エジプトの新聞による貴重なレポートによれば、1923年にバートン・パシャが郵便から退きマズルーム・パシャがその後を継いだ後、自転車が動物の代わりに使用されるようになったという。当時、農民らは綿花の最新の値段を知っており、街の人々と同様に新聞、ニュースを読んでいた。また、大きな郵便物のための特別部署が設置されたほか、128の郵便局および自転車による長距離移動のための105の配達ルートが開設された。移動手段であった自転車は、二輪であれ二輪以上であれ、地方都市では通行料を払わなければならなかった。
エジプトにおいて自転車は代表的な交通手段のひとつであり続け、あらゆる種類の自転車が特に上エジプトをはじめとする遠方の各県に都市化をもたらし、遠隔地域の文明化を促進するのに役立った。
そして1952年7月23日の革命後に工場の建設が起こるようになると、自転車はデルタの各県から上エジプトのケナ県に至るまで労働者の乗り物として現れた。1960年にケナの紡織工場に礎石が据えられ、1968年に竣工したが、この工場は75ファッダーンの(広大な)敷地に建設され、いまだ文明化が生じていない辺境の遠隔地域にあった。そのため、少女や女性たちは自転車に乗って通勤し、遅くまで仕事をしなければならなかった。
訳注:ファッダーンはアラブ諸国で用いられる面積の単位。エジプトにおいては、1ファッダーンは約4200平方メートルに相当する。
(6)に進む