地震で両親を亡くした。自身も二日後に残骸から隣人たちによって救出された。大統領府専用機でカフラマンマラシュからアンカラへ運ばれ、名前が不明なために額に「瓦礫の赤ん坊」と書かれていた生後二か月のファトマさんは生存した唯一の親族と再会した。
震源がカフラマンマラシュ県のパザルジュク郡のマグニチュード7.7の地震とエルビスタン郡のマグニチュード7.6である地震は、トルコを激しく揺さぶった...。何十万もの家庭を崩壊させた。世紀の大惨事として記される地震の11日目に被害者の数は3万6千人に越えた。
生存者の一人に、「身寄りの無い」中で一つの命が残った…。母も、父も、子も、兄弟も、家庭も、小売店も、八百屋も、地区もなくなり、町さえも消え去った...。
■二日後の救出
すべての瓦礫の中で何十もの人々の命の物語が隠れてしまっている。アビド家もそうした一人だった...。シリアの戦争から逃げてカフラマンマラシュへ身を寄せたそうだ。新婚夫婦に二か月前に女の赤ちゃんが生まれた。地震の発生は幸せな家庭を破壊した...。母と父は瓦礫で命を落とした。二人の赤ちゃんは二日後に瓦礫から無事救出された。近所の人々が鳴き声を聞いて救出した赤ちゃんは無傷だった。
■アンカラへ運ばれた
名前も分からない赤ちゃんをある近隣の女性は、医療チームへ引き渡した。身寄りのない赤ちゃんは医療班職員の保護のもと大統領府専用機でアンカラへ運ばれた。とても小さい体には重い産衣に「瓦礫の赤ちゃん」と書かれた...。見つかった地区と彼女を見つけた隣人の電話番号が紙に書いていた。額にフェルトペンで一つのメモが書かれていたが、判読できなかった...。
■「額のメモ」は叔父に届けられた
TRTニュースは、額のそのメモを追いかけた。「額のメモ」という頭のメモで形を成すことになるだろう。
産衣に付けられた紙に書かれた電話番号が確かめられ連絡をとった。赤ちゃんを見つけた被災者の隣人が電話に出た。赤ちゃんの名前を知らないが、以前に通りで一人の叔父を見たと説明した。
小さな赤ちゃんの物語は、「名前はさしあたり『瓦礫の赤ちゃん』、身寄りのない赤ちゃんは国の保護下」との見出しで扱われた。
■「私の赤ちゃんはあなたの所だった」
数時間後そのおじは現れた。赤ちゃんを医療関係者へ引き渡した隣人の許をおじは訪ねた。隣人は述べた。「私のところに少し前にある新聞記者が電話をかけてきた、赤ちゃんがそこにいると思う。」隣人の女性がくれた番号に連絡したおじは懇願した。「彼女は私の弟の赤ちゃんだ...。弟もその妻も死んでいます。私の赤ちゃんはあなたの所に...。」
TRTニュースは、おじへ赤ちゃんと関わる情報が与え、家族・社会サービス省の職員を行動に移らせた。被災者のおじは瓦礫から救出されたことを[示す]書類と共にアンカラへつれて来られた。必要な手順は一つ一つ踏まれた。省職員の精査の結果、おじの身分が確認された。そして地震から10日後に、「瓦礫の赤ちゃん」と名付けられたが、名前は「ファトマ」である2ヶ月の赤ちゃんは、おじに引き取られた。
叔父は控えめの喜びを投稿した写真で共有した。兄弟の預かりものにめぐり合った…。
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翻訳者:鈴木敬人
記事ID:55052