直近2度の地震後のハタイ県サマンダーの状況
2023年02月22日付 Cumhuriyet 紙
ハタイ県のサマンダー郡は、2月6日の地震に続いて2月20日に発生したハタイを震源とする2度の地震で新たに倒壊が生じた。ほぼ12万人の人口を擁する同郡の中心部では、一部の被災していた建物が倒壊した。サマンダー自治体のレフィク・エルユルマズ首長は、直近の地震に伴いテントの必要性が深刻に増したと述べた。
郡中心部の狭い路地の両側にあるアパートの全てが完全に崩れたか、ひどく損傷した。作業機械が一部の瓦礫の山を崩す一方で、その上には手をつけられていない多数の瓦礫がある。
村落部が多くを占める同郡では、村や街区にくらす人々は、家の庭や、手に入れたあるいは自力で張ったテントの中に、物置小屋の中に身を寄せている。
■緊急に解体すべき4-4500の家がある
BBCトルコ語に語ったサマンダー自治体のエルユルマズ首長は、直近の地震に伴いテントの必要性が深刻に増したと述べた。エルユルマズ首長は、「災害緊急事態対策局(AFAD)が市民に手渡したテント数と必要とされるテント数とでは大きな開きがある。サマンダーには少なくとも1万5千帳のテントが必要だ」と述べた。
同首長は、AFADが郡に渡したテント数に関し公式の発表がないとし、自分の見たところ、テント村には1500帳、それ以外に市民に配られたのは凡そ2500帳であると述べた。
大統領府のイブラヒム・カルン報道官は、今日、ソーシャルメディアを通じてAFADから各県に配られたテント数を発表した。ハタイには6万9766帳のテントが送られたと述べた。同報道官は自治体ごとの配布数は知らせなかった。
エルユルマズ首長の情報によると、同自治体では2千人近い人が死亡し、本当に深刻な被害は2月20日の地震後に発生した。
「直近の地震によって僅かな損傷であった建物が、中度・重度の損傷の建物に変わった。サマンダーにある建物の60%が損傷を受けていると即答できる。目下緊急に撤去すべき4-4500ほどの建物があると考えている。」
「サマンダーの住民は、2月6日の地震から現在まで路上で過ごしていた。トイレやシャワーといった用を足すために、荷物を運び出すために、時折自宅に入っていた。」
「第二の地震が日中であったならば、こんな深刻な被害は出なかった」とするエルユルマズ首長は、人々はもはや全く家に入れなくなったと述べた。
「地震が起こった朝、家財を運び出す多くの人々を見た。人々はトイレやシャワーといった用を足すため、短時間であれ自宅に入っていた。今度は簡易トイレ、洗面所、シャワーが必要となった。」
「この点で深刻な不足がある。AFADが街区間に簡易トイレを置いたのを全く目にしなかった。コンテナハウスが必要だ。その面で全く活動が行われなかった。」
エルユルマズ首長は、サマンダーの9-10地点で1500帳のテント村があり、イスタンブル広域市やニリュフェル自治体が80個のコンテナハウスを擁する場所を設けたと付け加えた。
「国は、人々が求めるテントを賄う場所にいなければならない。17日間で1万帳のテントを用意できないのであれば、サマンダーで住民用の建物をどうやって今後建てるのか。」
エルユルマズ首長は、自治体内の公式のテント数を尋ねると、「どうか信じてほしいのだが、わからないのだ。情報が提供されていない、なぜこうなのかわからない。数日前に環境相が来た際に彼にも伝えた。2千のテントを持ってくるといったが、来ない」と答えた。
大統領府の通信庁が先週行った発表では、ハタイ県サマンダー郡ではAFADの調整で設けられたテント村の中で被災者が凌いでいる、と明らかにされていた。
アナトリア通信でも日曜日のニュースで、サマンダーでは凡そ900人の被災者が、AFADが設けたテント村の中で暮らしており、テント村では3度の食事と基本生活物資が用意され、子ども達には様々な活動が提供されている、と伝えていた。
大統領府のカルン報道官の本日の発表によると、最も多くのテントがハタイに送られている。カフラマンマラシュには6万6685帳、ガズィアンテプには4万9670帳のテントが送られたという。
■人々はなぜテント村に行かないのか
サマンダーを歩き回る中、家の前にAFAD、赤新月社、様々な自治体、国連、パキスタンやイギリスといった国々から送られてきたテントが目についた。
名前の公表を望まないある女性は、損傷を受けた家の庭に自力でテントを張り、病気の父親を庭にある物置小屋に移したと述べた。
「テントが手に入らない。地区長達は手元にあった10-15帳のテントを配った。家をおいてテント村に行けない。そうした人たちは全てのものを盗まれ、被害にあった。」
サマンダーを歩き回る中、心配を抱えて私たちに駆け寄ってきた被災者は、「どこでプロパンガスのボンベが見つけられるだろうか」と尋ねてきた。その人は、子供達を瓦礫の中から救い出し、2月20日の地震後に家族揃って車を使って支援を求めに出た、と涙ながらに語った。救助調整センターでは助けてくれなかったと述べた。
■早急にテントが必要
クシュアラヌ地区は、全体に数階建ての一軒家がある村落部の地区である。家々のほぼ全てが損傷を受け、誰も単独で家の中に入りたがらない。柑橘類を栽培する、ビニールハウスで農業を営む人々は、家や畑を残して去りたがらず、その場に止まるには至急テントが必要であると明らかにした。
クシュアラヌ地区で話したアリ・シャウトオールさんは、「直近の地震で全ての家にテントが必要になった。ヨーロッパから来るし、他の国々からも来る、それでも届けられていない。テントはどこに行ってるんだ。来るテントも4人用だったり、うちは10-12人家族だ」と言った。
農業技師であるシャウトオールさんは、「今日、文化センターでテントのことで喧嘩が起こった。混乱を避けるために各世帯ごとに身分証の番号で[チェックして]テントを配ることはそんなに難しいことなのか。地区長は何をしてるんだ」と尋ねた。
クシュアラヌの地区長であるジェミル・アチュクギョズル氏は、6千人が住む地区に現在まで125帳のテントが配られたと述べた。最初の地震で地区内で50-60軒の家が壊れ、直近の地震でほぼ全ての家が被災したとし、「最初の地震後に自宅では一つのひびも無かった。2回目では自宅は完全に倒壊した」と述べた。
アチュクギョズル地区長は、自宅に入ることができない人々を助けていたと強調して、「皆、家の前にテントを張りたがっている。家畜を飼っている人もいるし、ビニールハウスをやっている人もいる。テントはないし、家畜にやる餌もない、人々には食料が必要だ」と付け加えた。
直近の地震で津波警報が出たことも住民を不安に陥れた。AFADがテント村を設けた場所は、海沿いだった。
地域でボランティアとして働いているある教師は「何もないとわかってはいても、人々は海沿いのテントに留まりたがらない」と述べた。
名前の公表を望まないある男性は、「今日は最初の地震から15日目なのに、今まで国から全く職員が来ていない。私たちの状況を尋ねなかった」と語った。
■被害検証班は再調査が必要
2月6日に発生したカフラマンマラシュを震源とする地震で生じた被害を、現地で環境・都市・気候変動省の職員達が確認作業を続けている。
トルコエンジニア・建築技師会議所連合の建築技師会を通じて現地にボランティアで訪れた人々は、一部の家の検証を終えた。しかし一部の家は2月20日にハタイを震源として発生した地震で再度損傷を受けた。
クシュアラヌ地区でこうしたボランティアグループの一部の活動を追う中、地元住民が技師達に再検証を実施するよう求める光景に出くわした。AFADが物的支援の提供を発表したのち、地域の損傷状況に関する懸念は、混乱を引き起こすことになった。
現場の検証グループのひとりである、ブルドゥルの建築技師会所属のエブル・コユンジュ技師は、「人々は損傷の少ない建物には何ら対処が行われずとも住むことが可能と考えている。損傷のひどい建物はすぐに建て壊されとも。両方とも間違いである」と状況への見解を述べた。
「損傷が少ない建物であっても崩れうる、損傷の酷い建物であっても補強すれば救いうる。私たちは単に予備検証作業を行なっているだけだ。後の本格的作業の際に役に立つように損傷の少ない建物を選び出すのが目的である。現在、この地域にある建物には入らないよう提案している。」
■直近の地震で病院も
昨年10月に活動を始めたサマンダー国立病院は、2月6日の地震後、地域で唯一活動できた病院だった。
しかし2月20日の地震で損傷を受けたとして、入場禁止となった。医療職員は病院の庭に貼られた3帳のテントの中で病人に対応している、緊急に対処を要する患者達にも対応している。
■トイレのために庭を使用
サマンダー最大の地区の一つであるスタシュ地区は6500人の住民がいる。その区長であるネビル・サーアルトゥジュ氏は「住民の半ばは去った。電気、水もない。雨が降って、テントもない。大半の人がビニールハウスのもとで過ごしている」と述べた。
同区長は、現在まで同地区にはわずか300帳のテントが配られたと述べ、スタシュ地区だけで1500帳のテントが必要だとし、基本的なもので至急必要なものをこう述べた。テント、電気、水、ベット...。
また同区長は、直近の地震まで人々は短時間家に入って用を足していたが、もはや用足しには庭を使っていると説明した。
「軍警察がテントを配布した。郡知事府が言うには「家が壊れた人、寝たきりの病人のいる人、病人を抱える人々に優先的に配れと…。しかし皆外で暮らしているのだ。混乱が生じ、みんなが欲しがっている。『あの人の家が壊れていたとしても、どうかお願い。あの人も外にいるかもしれないが、私も』と訴えた。」
■1900世帯のムズラクル地区に90帳のテント
サマンダー全体と同様に、ムズラクル地区でも最も必要だったのはテントだった。エディプ・サーヒッリ区長は、「ここに配られたのは90帳のテントだけ。どうやったら足りるのだ。ムズラクル地区は1900世帯の居住地で、その分だけ必要がある」と述べた。
同区長は、毎日テントの配布が原因で混乱が生じていると述べ、人々は農業を営んでいるから家や畑から離れたがらないと説明した。
「テント村に仕向けようとしても、『家や畑を離れない、ここにいる』と言う。何日もテントが来るのを待っている。私も家族で車の中で暮らしている、テントがないから。地区長はテントを手にしたとは誰も言えない。」
「まず最初に病人や障害者を抱える人たちにテントを配った。大混乱になった。誰もが、車で、路上で、庭にあるビニールの下で雨にぬれて過ごしている。家畜達も酷い状況だ。トラック一台分の餌が来たが、これで足りるとでも。」
(注)内務省に連なる行政単位である郡を指す言葉イルチェ(ilçe)は、同時に自治体を指す言葉もある。県ー郡の長である県知事、郡知事は公選ではない。
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翻訳者:トルコ語メディア翻訳班S
記事ID:55103