75時間後に救出のメレキさん5日後に内出血で死亡、ビデオに残るその姿
2023年02月25日付 Hurriyet 紙
カフラマンマラシュを震源地とする地震で、倒壊した建物の瓦礫に取り残されたジャナン・ギュネシュさん(39)と息子のメフメト・ギュネシュさん(17)が亡くなった。ジャナン・ギュネシュさんの娘メレキさん(23)は75時間後に無事救出された。胃腸出血のため5日後に亡くなったメレキさんの後には、彼女たちが瓦礫の下で経験したことが分かるビデオが病院に残った。
カフラマンマラシュを震源地とする地震で、マリキ・エジュデル通りに建つ5階建ての建物が倒壊したことによって、ジャナン・ギュネシュさん、娘のメレキさん、息子のメフメトさんが瓦礫の下に取り残された。その時料理人でキプロスにいた、父親のゼケリヤさん(44)がカフラマンマラシュに戻ってきた。
彼の妻と息子は遺体となったが、娘のメレキさんは75時間後に無事救出された。アンカラの病院に搬送されたメレキさんは、5日後に胃腸出血のため亡くなった。
■後には病室で撮られたビデオが残った
メレキさんの後には、親戚が病室で撮ったビデオが残った。映像にはメレキ・ギュネシュさんが、「お父さんから電話が来た。電話をとって『もしもし』と言ったけれど、私の声は届かなかった。それからまた地震が起きた。今回私たちは下敷きになった。そう私は感じた。手を伸ばしたところに水があった。何回も声が聞こえた。全く寝ていなかった。」と言うのが映っていた。
ゼケリヤ・ギュネシュさんは妻と二人の子どもの遺体を引き渡され、アダナのカバサカル墓地へ運び、並べて埋葬した。
■「電話で話した時に冗談を言いあった。それからみな死んでしまった。」
家族のお墓に来たゼケリヤ・ギュネシュさんは、経験した悲しみは言い表せないことや、住んでいた大通りは地震でどこもすべての建物が倒壊したと説明し、「私はその日、キプロスにいた。夜に1時間電話で話した。14日に休暇を取るつもりだった。娘はバイブルトの高専で学んでいた。彼女も家に戻っていた。息子は電話を欲しがっていて、戻ったら買うつもりだった。話した時に私たちは笑って冗談を言い合った。それから声がしなくなった。みな死んでしまった。すべてが終わった。息子の墓に、彼がとても好きだったトルコの旗を持って行った。この旗を5歳の時に商店街で見つけて彼はとても欲しがった。それを買った後、彼の部屋にかけた。彼のところへ預かっていた品を持って行った。息子も娘も祖国愛はそれぞれ異なっていたが、アタチュルク主義者だった。」と述べた。
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翻訳者:梅田茉奈
記事ID:55116