地震から一ヶ月、生き残った人たちの暮らしは
2023年03月06日付 Cumhuriyet 紙
トルコの10県で大きな破壊の原因となった地震から1月が過ぎた。避難場所は、いまだに最も大きな問題の筆頭に来る。BBCニュースのレポーターであるアンナ・フォスターさんは、サマンダーの人々の声を伝える。
ソンギュル・ユジェソイさんは、洗い物をとても熱心に洗っている。フォークとナイフを皿よりも前に洗剤でよくきれいにする。その後、泡をゆすいで乾燥させている。このことは、崩れ落ちた家の外の歩道の上で行われていること以外、あまり珍しい光景ではない。
人々は家々の横に寝ている。窓枠が外に向かって垂れ下がっている一方、錆びた鉄の屋根の大部分は現在は庭の真ん中に落ちている。トルコとシリアを襲った地震からひと月が過ぎた。大災害から生き残った人々はというと、先の見えない将来と向き合っている。最も深刻な問題は、生きていく安全な場所を見つけることである。現在、少なくとも150万の人は家がない。全ての人々が安全に避難できる場所を確保するのにどのくらいかかるのかを見定めるのも難しい。
トルコ災害緊急事態管理局は、約200万人が被災地を後にしたと述べている。人々の一部は、別の都市に住む友達あるいは家族の一員のもとにいる。被災地から離れたいと望む人々には無料の列車と無料のチケットが提供されている。
しかし、サマンダーで暮らしているソンギュルさんは、自分自身と家族が他のどの場所にもいかないと決めている。
「このことは私たちにとってとても重要である。今後何があったとしても、家が壊れたとしても、ここにとどまる。ここは私たちの家であり、住処である。私たちの全てがここにある。私たちはここから離れない。」
高価な家具は、細心の注意を払い家から運び出し、外に設られた。簡易テーブルの上にはクシュアダシュで買った「休暇の思い出」が置いてある。フルーツボールがあり、オレンジにはカビが生えている。家の中であればいたって普通に見える物事が、通りの真ん中に置かれると意味がわからなくなる。
家族全員は、現在は被災した家から数歩先の3つのテントの中で暮らしている。ここで食べ、寝ている。小さなキャンプ用のコンロで作った料理をここで分け合っている。浴槽を一つ取り出し、寄せ木作りの物置小屋に置こうと努めたとしても、ちゃんとしたトイレさえもない。小さなシャワー室が作られた。しかし、全ては間に合わせものである。プライバシーは、二の次で、テントは人で一杯ある。
ソンギュルさんにとっては困難に満ちた1カ月である。地震で17人の親戚が亡くなった。姉のテュライさんは行方不明である。「いまだに瓦礫の下にいるのかどうかもわからない。」と述べて、こう続けた。「遺体が引き出されたかどうかは未だにわからない。待っている。喪に服せない。行方不明者をまだ見つけられてさえいない。」
ソンギュルさんの義理の兄弟[姉のテュライさんの夫]であるヒュサメッティンさんと11歳の姪のロザンは就寝中に倒壊した建物の中で亡くなった。家々が後に残した瓦礫の山に向かった。近隣住民は三つの建物が崩れたという。
ソンギュルさんは静かに「ロザンの遺体をここに持ってきた」という。
「遺体安置所で受け取ってサマンダーの私たちの家の近くに葬った。ヒュサメッティンは無縁墓地に葬られており、そこで彼の名前を見つけた。」
姉のテュライさんのフェイスブックのプロフィールはまだアクティブである。その写真ではお互い手は腰に巻かれている。顔が近づけられている。ロザンの手にはしっかりと風船が握られている。
地震後に信用できる家は本当に僅かだった。このため家がないことが現在深刻な問題となっている。16万以上の建物が倒壊するか重度な被害を受けた。国連開発計画によれば、少なくとも150万人が現在被災地域にいる。しかし暮らすべき住まいがない。実数を知るのはとても難しい。さらに多い可能性が高い。
コンテナ・ハウスが届いているが、極めてゆっくりである。あらゆる場所でテントが見受けられる。だが現在も十分な数ではない。トルコ赤新月社がNGOにテントを販売したというニュースは希望を打ち砕くものであり、怒りの原因となった。
一部の都市では人々は今も公的施設で暮らしている。
アダナのバレーボール・コートに敷かれた毛布、マットレスで眠る人々と記者は知り合った。イスケンデルン市の鉄道駅に停止している二両の車両は、人々の家となっていた。客席は寝床になり、荷物棚は個々人の荷物で一杯になっていた。職員は掃除・整頓を行うため働いていた。クマのぬいぐるみの代わりに枕を抱いた女の子の目は涙でいっぱいだった。ここは家ではない。
ソンギュルさんの子供たちも困難な状況である。おもちゃは崩れた家の中に埋まっている。学校もない。
「子供たちは退屈している。熱中するものがない。ただ座っている。電話でゲームをしている。バッテリーがなくなると、早くに寝ている。」
夜になると、状況は一層困難になる。サマンダーでは現在電気がない。ソンギュルさんは、白いテントに記されるUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)のロゴの上に太陽光で動くランプをつけた。自国の中でも家無しである。彼らは難民ではないが、にも関わらず、全てのものを失ったのである。
「ランプが見えるようにと、ここに付けた」とソンギュルさんは説明する。
「当たりが暗くなると、怖い。電気がないのは、大問題だ。とても怖いし、一晩中余震を感じている、だから寝付けない。」
彼女は泣き始め、涙を手で拭った。
「私たちは自由な人間である、自由に、独立に、皆が自分の家で暮らすのに慣れきっている」と[ソンギュルさんの夫]サヴァシュさんは語る。
「だが今は三家族が一つのテントで食べ、寝起きを共にしている。」
「こうしたことは慣れていない、新たなことだ。未来が何をもたらすのか、わからない。常に恐怖がある。家が壊れ、今後どうなのか、わからないのである。」
(注)原文の英文記事の翻訳はネット上に上がっている。
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-64859582
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翻訳者:新井慧
記事ID:55165