シリア:シリアの反体制系チャンネル「オリエント」の閉鎖が突如発表される

2023年11月18日付 その他 - al-Hurra.com 紙

■シリアの反体制チャンネル「オリエント」の閉鎖が決定…労働者らが「衝撃的な知らせ」の影響を語る

【フッラ・ドットコム】

シリアのチャンネル「オリエント」の労働者らとトルコのイスタンブール市で働く人々は金曜日、いかなる兆候や事前の準備がないままに「衝撃のようなニュース」を受け取った。これによると、同チャンネルのオーナーであるシリア人ビジネスマンのガッサーン・アッブード氏は、今年の年末を越えない期限内に同チャンネルを完全かつ恒久的なかたちで閉鎖することを決定したとされている。

同チャンネルは閉鎖決定の詳細とその理由を公式には公表していない。しかしジャーナリストや技術者を含む労働者らは本サイトに対し、同チャンネル編集長のアラー・ファルハート氏がオーナーであるアッブード氏と会合をもった直後、前者からそれについて報告を受けた「圧力」について明らかにした。

オリエント・チャンネルは、長年にわたってシリア政府に反対する声や経路を選んできた、シリアのもっとも著名なメディアプラットフォームのひとつとみなされている。同チャンネルにとってのターニングポイントは2020年に、衛星放送を停止したのち、運営部がアラブ首長国連邦のドバイからイスタンブールへと異動したことによって訪れた。

衛星放送が停止されたのちであっても、オリエント・チャンネルはさまざまなソーシャルメディアプラットフォームを通じて、特に「タファースィール」(詳細)と「ここがシリア」といった番組の制作・公開を続けた。さらに同チャンネルはこれに並行して、「テレ・オリエント」や「オリエント・トゥルク」などのプラットフォームを通じて短編小説を公開するようになり、ウェブサイト上では引き続き報道記事の掲載を続けた。

今回の閉鎖措置の対象となるのは特定のプラットフォームに限定されるものではなく、「アル=ニュー・メディア」、「報道部門」、番組、ソーシャルメディア、ラジオといった、 イスタンブールにあり、総勢80人の労働者が働くオリエントのオフィスで製作されている全てのプラットフォームがその対象となる。

ジャーナリストのアブドゥルカーディル・ラヒーブ氏は次のように嘆く。「いかなる兆候もなかった」。「我々は毎日の習慣のようにプロジェクトに取り組み、準備を行っていた。我々は一瞬たりとも、チャンネル閉鎖の決定がこれほどのスピードで下されるとは思っていなかった」。同氏はチャンネル閉鎖のニュースが労働者たちをいかに狼狽させたかを説明し、それがあたかも「スポーツ選手を兆候がないままいきなり襲った心臓発作」のようであったと述べた。

「オリエント・ラジオ」のアナウンサーを務めるラヒーブ氏は本サイトに対し、チャンネル閉鎖の決定が「さまざまな面で痛みを生じさせるものである」と述べた。同氏によると、その1つ目は、「自由なシリアにおいては、あらゆるものが軍事的に、政治的に、救援物資に関連して、あるいはメディアに関連して徐々に枯渇しつつある」という考えに関連しているという。

ラヒーブ氏の意見では、2つめの面とは「メディア機関としてのオリエントが、民衆的、愛国的、革命的な資本を有している」ことにかかわるものだという。同氏はさらに「こうした経路が中断しまったことは残念なことだ」と続けた。

同氏は「オリエントは革命以前、革命中、革命後のシリア情勢をフォローしていた」と述べ、次のように付言した。「それはシリア人によるデモ、戦争、離散、避難の森、避難の海のなかで、直近のスワイダー運動に至るまで、常に彼らの側に立っていた」。

ジャーナリストであるラヒーブ氏は、チャンネルの閉鎖決定の影響が、ジャーナリストや技術者を含む労働者らの「雇用の機会」および「トルコでの生活費を得るために頼っていた資金源」の喪失につながったと指摘した。

オリエントの閉鎖決定がなされたのは、同チャンネルが来年2月の頭に創設15周年を迎える直前のことであり、シリアのジャーナリストらやSNSユーザーらの間で広く反応を呼んだ。

ジャーナリストのマージド・アブドゥッヌール氏はSNSプラットフォーム「X」上に次のように投稿した。「チャンネル閉鎖のニュースは、シリア革命における古くからの声を沈黙させた」。さらに次のように付け加えた。「あなたが反対するか同意するかはさておき、オリエントはある時には圧制者らの処刑人であり、ある時には自分の悩みや不幸を打ち明けられる誰かを探している人々の心を癒す憩いの場でもあったのだ」とも付け加えた。

同チャンネルのジャーナリストであるラーマー・アッブーシュ氏はフェイスブック上に次のようにコメントした。「あなたたちはもう、オリエント・ラジオで私たちの声を聴くことはできなくなりました。オリエントの広報誌で、私たちを見ることできなくなりました。我々も次回、あなたたちの姿を見ることが叶わなくなりました。我々は最終回を迎えてしまったのです」。

元ジャーナリストのファワーズ・シハーダ氏は、「オリエントはまもなく閉鎖さし、埋めることが困難な穴を残すことになるだろう」と付け加えた。

ウェブサイトに記載しているガッサーン・アッブード氏の来歴によると、同氏は2009年、「すべてのシリア人のための説教壇」となるようシリアで「マシュリク・テレビ」を立ち上げた。これが彼をアサド政権と対峙させ、今後同テレビの運営に1,800万米ドルを費やすきっかけになったという。

当時、同氏とジャーナリスト計60人を含む同チャンネルの労働者149人は、シリア政府軍の将校やムハーバラート(諜報員)らから殺害の脅迫や嫌がらせを受けたという。その後アサド政権はマシュリク・テレビの本部を掌握したが、アッブード氏が同チャンネルの本部をUAE、トルコ、ヨルダンへと移転させ、これは結局「オリエント・メディア」として再始動することとなった。

それ以来、特に 2011 年にオリエント・メディアとしての再始動がなされて以降、オリエントはいくつかの重大な局面を経てきた。その 1つ目は、「法的根拠に基づいて指定された報道内容からの逸脱しており、同チャンネルが本来バラエティ番組として認可されているという事実」を理由に、UAEでの衛星放送が停止されたことであった。

その結果同チャンネルの報道スタジオはカイロに移転し、一定期間そこに留まり、UAEの大規模スタジオへと再び戻ることとなった。その後同チャンネルは、シリア革命の開始とともに最前面に現れ始めたシリアの出来事に同調することによって新たなキャリアを歩み始めた。

オリエント・チャンネルは、シリアが革命の年月のなかで目の当たりにした軍事的あるいは政治的な顕著な出来事を取り上げた。同チャンネルはこれまで現場の取材中に命を落とした犠牲者や、いまだ行方不明のままでいる人々を含むジャーナリストらを喪失したが、彼らのうちもっともよく知られているのはウバイダ・バタル氏とその同僚であるとカメラマンのアッブード・アティーク氏である。

過去に10年近いキャリアをもつ同チャンネルの主要な運営者のひとりであり、現在は作家兼ジャーナリストであるムハンマド・マンスール氏は次のように述べた。「メディアの発信源でありメディア機関であったオリエント・チャンネルの閉鎖に喪失感を覚えている他のあらゆるメディア関係者と同様に、私はこの知らせを非常に残念に感じた」。

同氏は本サイトに対し、次のように付言した。「シリア人たちは彼らの声を伝え、彼らの問題をフォローする声と発信源を必要としている。今日のオリエントの敗北は、シリアの報道がこれまで以上に周縁化されることを意味する」。

マンスール氏はさらに、「若手であるかベテランであるかを問わず、シリアのメディア人に与えられる雇用の機会は非常に少ない」と前置きしつつ、今回の閉鎖決定が「労働者たちにとって衝撃であった」と説明した。

同氏はさらに、「残念ながらシリア人ジャーナリストは、彼らがいかなる(政治的)立場を有していない場合を除いて、報道機関において望ましくない人員として分類されている」と述べ、「オリエントは最近ではごく少数の幹部しか擁していなかったが、いずれにせよその閉鎖はさらなる苦しみを意味する」と付言した。

オリエントがそれによって知られていた空間や「名前」、そして「聞いた者は見た者と同じようではない」というスローガンにもかかわらず、同チャンネルは2020年以降、特にその編集ラインに関連した批判を受けることとなった。さらに同チャンネルにはしばしば、宗派主義に基づく差別が向けられることもあった。

オリエント内外のジャーナリストらは、同チャンネルに向けられた批判が「実際にあった」ことを認めているが、その一方で彼らは「チャンネルの閉鎖は、労働者らの次元や、2011年以降のメディアといった次元に関連してネガティブの影響を及ぼす」との見解を述べた。

2011年から2022年までオリエント社に勤務していたマンスール氏は、同チャンネルが「過ちや失策、躓きにもかかわらず、シリアとアラブのメディアシーンで存在感を示してきた」と述べた。

同氏によると、オリエント・チャンネルは「明確な方針が存在しないにもかかわらず、報道を扱ううえでのメディア的自由を適度に享受していた。さらにそこでは、革命についての報道やドキュメンテーションの継続や、重要な問題のフォローアップに関連して、優れた取り組みがなされていた」のだという。

マンスール氏は次のように付言した。「オリエントは輝きと衰退の段階を経たが、その代わりにシリアの報道を伝え続け、自らの言説に対して向けられた数々のコメントを意に介さないままシリア国民の側に立ち続けてきた」。

さらに「肯定的な見解も否定的な見解もなされない報道チャンネル、テレビチャンネルは存在しない。オリエントは14 年間にわたって、シリア人の記憶の一部を形成しており、そのアーカイブはそれについて多くを語っている」と付言した。

シリアでは2011 年以降、それ以前に国に広がっていたものとは根本的に異なる報道環境が生じるようになった。つまれ2011年以前は、政権の言説のみを掲載する公式メディアが存在することとは別に、報道機関はシリア政権に近いか半公式であるかにかかわらず、いずれにせよシリア政権と関係していたのである。

2011年以降は新聞、ラジオ局、ニュースサイトなどが創設されたが、そのいずれもダマスカスの政府に反対する経路に従うかたちで、シリアでの軍事、政治、人道的事件の詳細に焦点を当てた。これらは2011年から2018年にかけて最盛期を迎えたが、その後急速に衰退し、「資金調達」に関連した理由で次々と閉鎖されていった。

シリアにおける戦争が13年目に突入しようとするなかで、一部の人によって「代替メディア」に分類されると考えられているような報道機関の数は、片手で数えられるほどしかなくなっている。

オリエント・チャンネルの番組「ここはシリア」のプロデューサーであるヤーマン・ダーブキー氏は、次のように述べた。「チャンネルの閉鎖は、単に労働者らや彼らの経済状況にとっての多大な損失であるだけはない。それは2009年以降の時世が生んだ素晴らしい遺産であり、偉大な声でもあったのだ」。

さらに同氏は「オリエントは、他のどのメディアよりもシリア人、特に国内北部のシリア人と非常に密接な関係にある」と付言した

同氏はさらに本サイトに対し、「私と80人以上の労働者は、仕事のシステムを通じて突然閉鎖の知らせを聞いた。まるで衝撃と雷に襲われたかのようだった」と付け加えた。

シリア人ジャーナリストは「どの機関でも、労働者はもっとも弱い立場に置かれている。なぜなら彼らにとっての仕事の唯一の源泉こそが、閉鎖というプロセスによって直接的な影響を受けるものだからである」と述べ、さらにオリエントに関して、「損害は物質的なものに留まらず、精神的、道徳的にも非常に重大である」と付言した。


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翻訳者:国際メディア情報センター
記事ID:56799