マスウード・ペゼシュキヤーン次期大統領は、イマーム・ホメイニー廟で行われたアーシュラーの夜の式典に出席し、「我々行政を預かる者や責任ある者、(我々に)反対している者たちが正義において振る舞い、公正に行動するなら、国民は我々に不満を抱くことがあるだろうか?」と述べた。
【ハムシャフリー電子版】マスウード・ペゼシュキヤーン氏はアーシュラーの夜の式典において、亡きイマームの廟でのスピーチで、神と預言者たちの書の哲学は正義を確立するためのものであると述べつつ、以下のように言い表した。「正義の領域は非常に広い。人間は正義において行動しなければならないのであり、正義と公正が社会で実現されなければ、社会で喧嘩や口論や争いが起きる。イマーム・ホセイン(彼の上に平安あれ)は正義の確立のために立ち上がったが、勧善(十二イマーム派の「十行」の一つ)とは、まさにこの正義を行うためである」
同氏は、「もし我々が人々・社会・民族の権利の中で正義を行わないのであれば、我々のイマーム・ホセイン(彼の上に平安あれ)への涙は単なる涙に過ぎない。我々行政を預かる者や責任ある者、(我々に)反対している者たちが正義において振る舞い、公正に行動するなら、国民は我々に不満を抱くことがあるだろうか?」と付け加えた。
同氏はこう述べた。「もし我々が国民の権利を無視し、自己の欲望に耳を傾け、自分たち自身・自身のグループ・自身の民族・自身の身内の行動を正義とみなすなら、それは我々が正義において振る舞うことを放棄した瞬間である。我々に正義を守らせず、我々が国民に正義を行うことを許さないのは、自己の欲望なのだ」
次期大統領は次のように説明した。「社会を構成する全ての人々が国民なのであって、我々と共にある人々だけが国民なのではない。我々と共に在らぬ人も国民の一人であり、全ての人々の正義が守られる必要がある。これらの人々は、思いやりと優しさをもって扱われるべきだ。我々がこのような人々の僕として、この点についてイマームたちと預言者の命令に従えば、全ての喧嘩や争いが解決するだろう。あらゆる争い事は自己の欲望が原因なのだ」
ペゼシュキヤーン氏は、「この権力・役職・地位は、私が誇示したり自慢したりするためのものではなく、国民に奉仕するためのものだ。自己を律するとは、敵と味方との間で公平性を守り、公平性に基づいて行動するということである」と説いた。
同氏は以下のように付け加えた。「イマーム・ホセイン(彼の上に平安あれ)の道に従い、彼の名において自己の欲望・高慢・傲慢に陥らないことを忘れずにいよう。我々は、神が国民の傍で我々に恥をかかせることがないように、また、派閥・グループ・左派・右派・トルコ人・クルド人・ロル人・ペルシャ人・その他民族に関係なく全ての国民に奉仕することができ、国民の恥とならないよう願っている」