日本の死刑囚、88才で無罪に

2024年09月26日付 Milliyet 紙

1966年に4人を殺した罪で死刑判決を受けたが、何十年の時を経て釈放された。88歳の男性は、偽装証拠と拷問により自白したことが明らかとなった。

日本で死刑執行を待っていた死刑囚の袴田巌さん(88歳)は、不利な証拠が捏造であった事が判明し、無罪となった。加えて袴田さんは、拷問下で証言し無実であると主張していた。

56年間も死刑執行を待っていた袴田巌さんは、1968年に社長、その妻と2人の子どもたちを殺害した容疑で有罪判決を受けた。

◾️死刑待ちが精神的ダメージに

警察の証拠捏造が疑われ、袴田さんの再審が決定された。長きに渡る死刑の執行待ちは袴田さんの精神状態に大きな打撃を与え、このため最終的に無罪となった裁判審理に出席することが出来なかった。

袴田さんの裁判は、日本で最長かつ有名な裁判のひとつであり、世間の注目を集めている。静岡市では公開裁判を傍聴するため500人以上の人が列を成した。

判決が下されると、袴田さんの支援者は歓声をあげた。悪化した精神状態により裁判への出席が免除されている袴田さんは、釈放され再審が決定された2014年以来、姉の秀子さん(91歳)の元で生活している。

袴田さんは以前のAFP通信の取材に対し、正義のための闘いは「毎日がボクシングの試合のよう」であり、「勝てないと思ったら勝利へ続く道は無い」と述べていた。

◾️みそタンクの中に血のついた衣服

元プロボクサーだった袴田さんの会社の社長、その妻と2人の子どもの死体が、1966年に静岡県の家で起きた火事の焼け跡から見つかった。4人とも刺殺されていた。袴田さんは当時、みそ製造会社に勤務していた。(味噌とは一般にスープを作るため用いられる、発酵された大豆、米、一定のブドウ水を混ぜて作られた練り物に似たもの)

袴田さんは一家を殺害し、家に火をつけ、現金20万円を盗んだとして罪に問われた。袴田さんは容疑を否認したが、後に1日12時間続いた暴力を伴う尋問の末に容疑を認めた。1968年に殺人と放火の罪で有罪判決を受け、死刑判決を受けた。

この有罪判決では、袴田さんの逮捕から1年後にみそタンクで発見され血が付着した衣類が[証拠に]使われていた。しかし袴田さんの弁護団は、衣類から採取されたDNAサンプルが袴田さん本人のものでは無いと、長年主張していた。また、警察の証拠が捏造された可能性も指摘していた。

2014年に弁護側の主張が村山浩昭裁判長を納得させ、「衣類が被告人のものではない」と判断された。村山裁判長は裁判での発言の中で、「無罪の可能性が合理的な程度に達しているため、被告人をこれ以上刑務所に拘置することは適当でない」と述べていた。袴田さんはその後釈放され再審が決定した。裁判準備が長引いたため再審は昨年開始でき、裁判所は被告人が無罪であると判決を下した。

裁判長は、みそタンクの中に1年も浸かっていたら血は赤くなくなるため、衣類についた赤い染みが血ではありえないという弁護団の主張を認めた。袴田さんの弁護団と家族は、刑務所ではほとんど独房状態で過ごした何十年もの月日が、袴田さんの精神状態に大きな打撃を与えたとしている。

日本では死刑囚の再審は珍しい事例である。袴田さんの裁判はこうした再審の戦後5例目となる。日本は、アメリカとともにG7で死刑を採用する2カ国のうちの一国である。死刑囚は死刑執行を数時間前に告知される。


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翻訳者:松田麻歩
記事ID:58727