レバノン:ヒズブッラーの故ハサン・ナスルッラー書記長とは何者だったのか(3)

2024年09月28日付 al-Quds al-Arabi 紙

■イスラエルが暗殺したヒズブッラー指導者、ハサン・ナスルッラーとはどのような人物か

【ベイルート:アナトリア通信】

<<ナスルッラー書記長とはどのような人物か>>

ハサン・ナスルッラー氏は1960年8月31日、レバノン南部スール地区のバーズーリーヤ村で生まれた。

同氏はファーティマ・ヤースィーンさんと結婚し、2人の間にはハーディー、ザイナブ、ムハンマド・ジャワード、ムハンマド・マフディー、ムハンマド・アリーの計5人の子供がいる。

長男のハーディーは、1997年にレバノン南部でのイスラエル占領軍との衝突で殺害された。

ナスルッラー氏はレバノン、イラク、イランにあるシーア派の拠点や信仰地域で宗教教育を受けた。同氏は高等教育中に「アマル運動」に加入し、次第に地位をあげ、1979年に同組織の政治部門メンバーになった。

そして同氏は1982年に、レバノンに対するイスラエルの侵攻への対処方法をめぐる相違を理由に多くの高官らとともにアマル運動を脱退し、同年に設立された「ヒズブッラー」に加入、そしてベカー地域北部でムカーウィミーン(抵抗戦士)を動員する責務を担った。

さらに同氏は1985年にベイルートに移り、ヒズブッラーの地域副長官の地位に就いた。その後、シューラー評議会による決定の執行を担う総執行官になった。

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翻訳者:大森耀太
記事ID:58755