国家諜報局、過去の特別諜報文書を公開

2024年10月31日付 Hurriyet 紙

国家諜報局(MIT)が過去の特別所蔵物に含まれる公式の諜報文書の一部を公開した。「特別収蔵物」に含まれ、一番古いものは1920年付であるところの文書計17点は、MITの公式ホームページで閲覧可能となった。一番古い文書の中には、新聞記者を装ったトルコ人諜報員が、第二次世界大戦の少し前にトルコへ来たドイツの国民啓蒙・宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルス氏に接触して書いた報告書も含まれている。

MITが公開した文書の中には、アダナやメルスィンで1920年代に領事部と偽る組織の中で働く外国人について国家保安サービス局(MAH)によって収集された詳細な情報やこれらの外国人の活動の解明に向けた活動が含まれている。

ムスタファ・サギル氏は、トルコ革命が激しく進む中で、「保安組織」に入って閉鎖に追い込み、ケマリストやムスタファ・ケマル・パシャに近づくことに成功したが、後にインド系イギリス人のスパイであることが確認された。サギル氏についての1921年付の文書は、[アラビア文字の]オスマン語で書かれた原本のままの状態でサイトにて公開されている。

公開された文書の中には、コードネームを「レベッカ」とするディルベル・ジャヴィダンという女性スパイに関する「2つの新月」のシンボルが押された1921年付の「緊急」報告書、そして、1921年3月付の全軍本部大本部長、つまり参謀総司令部に送られた「ヤヴズ・グループ」の印が押された書類、そして、「フェラー・グループ」から1922年に全軍本部大本部長に送られた「2つの新月」の印が押された文書もある。

MITの公式ページには、MAHに所属するシュキュル・アリ・ベイ参謀大佐が任命されることに関して、そして法令の施行に当たって首相に責任があることに関する、イスメト・イノニュ首相とムスタファ・ケマル・アタテュルク大統領の署名が入った1926年12月25日付の法令も含まれている。

行政内閣による1926年12月19日付の秘密の法令で創設されたMAH長官に全軍本部で職務に当たっていたシュキュル・アリ・ベイが任命され、首相府によって関連組織とシュキュル・アリ・ベイに対してこの報告が行われたことに関する1926年12月27日付の文書もサイトの報告書の中に含まれている。

◾️マクシム・ゴーリキーの映画に関する諜報文書

アンカラ中央地域局から国家保安サービス長官に対して1927年3月1日に「個人的な」、つまり「パーソナルな」との秘密度で送られた2月の活動に関する報告がMITのホームページで公開されている。

MITのホームページでは、イスタンブル地域局が国家保安サービス長官に対して送った1928年3月31日付の報告が公開されている。この中で、ソビエト連邦の作家、マクシム・ゴーリキーの著名な小説「母」が映画としてイスタンブルにて上映され始め、この作品が強力な共産党のプロパガンダとなり得るとの見解を含む諜報文書が注意をひく。

MAHが成立した頃、防衛の観点から職務の一角を成したカリフ制度復活に向けた活動に関し「クルド・トルコ・カリフ制度回帰委員会組織」との名を付した諜報の概要が含まれる文書群がある。その中には、イズミルの新任フランス領事が書いたある軍事報告の断片をストーブから取り出し復元し内容を解明したことに関するイズミル中央局による1932年7月4日付の文書もある。

同文書が復元された後のフランス語の原文のほかにトルコ語の報告もまたMITのサイトで公開された文書の中に存在する。

◾️ハリデ・エディプ・アドゥヴァル氏の監視要求を拒絶

1935年に短期間トルコに来たハリデ・エディプ・アドゥヴァル氏に関して、内務省付属の警察総局は情報請求した。この請求に関して、「我々は、スパイをマークしている。メフメト・ラウフ氏やアドゥヴァル氏は現政治体制に反対かもしれない。我々は彼らを追わなかったが。」というMAH長官ナジ・ペルケル氏の文言から成る付記もこの文書の中に記されている。

公開された文書の中で、フランス人の最優先事項はチュニジア、アルジェリア、モロッコであり、必要ならばイスケンデルンから撤退する方針であるという情報をMAHが入手し、ハタイの[シリアから]トルコ復帰の動きに貢献したことに関する1938年6月16日付の報告が注意を引く。

◾️ドイツの国民啓蒙・宣伝大臣ゲッベルス氏もマークされていた

一方、サイトでは、新聞記者を装ったMAHの諜報員が、第二次世界大戦の少し前にトルコへ来たドイツの国民啓蒙・宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルス氏に接触して書いた1929年4月付の報告書も注目されている。

同報告では、以下の文言が含まれている。

「ドイツの国民啓蒙・宣伝大臣ゲッベルス氏がイスタンブル訪問に関連して、職員の中からトゥーラーンに任務を与えた。新聞記者を装った同職員が報告した情報を提出する。海路におけるKIPに関する情報は、中央が以前に確認した状況[の信憑性]を補強するものである。謹んでご報告する。」

MITの公式サイトでは、「特別収蔵物」とのタブ名の下にある「文書」で公開された年代上で最新の報告では、1948年にMAH長官ナジ・ペルケル氏の署名入りで、怪しい人物に関してアンカラ地域局に送られた指令も存在する。


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翻訳者:山口晴夏
記事ID:58979