カルン諜報機構長官、ゴラーニー暫定首相提案でダマスカス視察

2024年12月14日付 Milliyet 紙
カルン長官、ウマイヤモスクで礼拝
カルン長官、ウマイヤモスクで礼拝
国家諜報機構のイブラヒム・カルン長官はダマスカス訪問においてシャーム解放機構のゴラーニー氏と包括的な会談を実施した。カルン長官はウマイヤ・モスクで礼拝し、ゴラーニー氏の提案でハミディイェ市場とカシオン山を散策した…。

イブラヒム・カルン長官がウマイヤ・モスクで礼拝をおこなう中で撮影された写真がX(旧Twitter)に投稿された。
国家諜報機構のイブラヒム・カルン長官はアサド政権崩壊後、シリアの首都ダマスカスを訪問した。カルン長官はウマイヤ・モスクで礼拝した後、ダマスカス市民に挨拶し、撮影された画像はトルコのテレビ局だけでなく国際報道局にも速報で報じられた。カルン長官がダマスカスで目撃されたことに関して、最初のコメントはウマイヤ・モスクで撮影されたこの写真を通して行われた。賛否両論あるものの、この礼拝はレジェプ・タイイプ・エルドアン大統領が2012年9月5日に発言した「ウマイヤ・モスクでの礼拝」との言葉に基づいて行われた。

エルドアン大統領はシリア内乱開始から 6、7か月後にAKP党本部での拡大グループ会議で、「CHPが明日ダマスカスを訪問する人員が見つけられないことはご存じだろうが、願わくば我々はいち早くダマスカスに赴き、そこで同胞と親しく抱擁を交わしたい。その日は近い。我々はきっとサラーフッディーン・アイユーブの墓の前でファーティハ(訳注:コーランの第一章)を誦して、ウマイヤ・モスクで礼拝をおこなう。ビラリ・ハベシュ(訳注:預言者ムハンマドの弟子)やイブン・アラビーの廟で、スレイマニイェ・モスクで、ヒジャーズ鉄道駅で友好のために自由に礼拝を行う。」と述べていた。シリア内戦が長引く中で、この言葉は批判材料として使われてきた。イブラヒム・カルン長官が行った礼拝もエルドアン大統領のこの言葉に基づいていて、批判や支持の声がある。一方で、カルン長官のダマスカス訪問は礼拝にとどまらなかった。

■ダマスカスの通りを散歩

カルン長官が人々に混ざってモスクで礼拝を行い、その後ダマスカスの通りを巡ったことは同時に多くのメッセージを含んでいる。トルコと世界の世論に対して、シリアの人々のそばにいられて、トルコの諜報機構長官がシリアの通りを巡ることができると強調するメッセージだ。エルドアン大統領が12月9日に行った国民演説のスピーチはトルコの、今日までのみならず今後の政策にも関する枠組みとなる。エルドアン大統領はそのスピーチで「自由と公正の闘いにおいてあなたがたを孤立させなかったように、願わくば発展のための闘いにおいてもあらゆる手段であなた方を支援したい。」と述べていた。

カルン長官のダマスカスでの接触や撮影された写真と、それからたった数時間後にトルコのモーリタニア大使であるブルハン・キョルオール博士がダマスカスの臨時代理大使として任命されたとの発表は合わせて考えられるべきだ。キョルオール博士は偶然選ばれた人物ではなく、イスラム哲学、政治思想、トルコ・アラブ関係についての専門家の学者であり、モーリタニアの首都、在ヌアクショット大使として任期1年目が終了する3日前に、シリアの新たな危機の過程においてダマスカスのために選ばれた人物だった。キョルオール博士任命は確実に外務省の責任において行われているが、しかしカルン長官は以前より彼と交流があることを筆者は知っている。このことから外務省と諜報機構が危機の過程で協力していると推測できる、と筆者は確信している。

■ゴラーニーと一対一

得られた情報によれば、国家諜報機構のカルン長官はダマスカスでシャーム解放機構のアブー・ムハンマド・ゴラーニー、別名アフメド・ヒュセイン・アルサラー氏と包括的かつあたたかな会談を行った。カルン長官が暫定政府のムハンマド・アルバシール首相とも会談したとの情報が回っていたが、ゴラーニー氏との会談は一対一だった。カルン長官はアラビア語が堪能で、会談のために通訳たちを準備したがその必要はなかったとみられる。二人が会談でとりあげた主な話題は国境の安全、シリアが再興するための必要な支持や支援、シリア人が帰還するためのインフラ、新たなシリア構築環境の準備、トルコはどのような方向で支援尽力できるのか、だった。

■自動車は自身で運転した

会談の終了時、ゴラーニー氏はカルン長官にダマスカスをともに散策することを提案した。それにとどまらず彼はハンドルを握ってカルン長官を礼拝のためにウマイヤ・モスクに連れて行った。国家諜報機構のカルン長官はゴラーニー氏が運転する自動車の助手席に座った。ゴラーニー氏はモスクにカルン長官と一緒に入らなかったが、礼拝終了後、二人は再び同様にダマスカスの通りを巡った。ゴラーニー氏とカルン長官はダマスカスに無数にあるオスマン朝時代の建築のひとつであり、出口がウマイヤ・モスクに隣接する商業センター、ハミディイェ市場も回り、その後町の北部にある、展望台から街を見まわすことができるカシオン山に向かった。ゴラーニー氏とカルン長官の会話はそこでも続けられた。


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翻訳者:伊藤梓子
記事ID:59249