ダマスクスの最も緊張した地区メッゼ86

2024年12月23日付 Medyescope 紙

現在、注目はシリアのアレヴィー(アラウィー)派に向けられている。彼等は何を感じて何をしようとしているのか。ギョクセル・ギョクス記者とカヤ・ヘイセ記者は、ダマスカスでアレヴィー派が暮らしているメッゼ86に行き、そこで暮らしている人々と話した。

内戦中に安全だったダマスカスにあるカシオン山に背をもたれかけるメッゼ86地区は、タハリール・アル=シャーム機構が政権を手に入れることでダマスカスの最も緊張した地区に変わった。

入口に検問所が作られた同地区は、シリアの政権を転覆された指導者バッシャール・アサドの、街を見渡す宮殿もあるカシオン山の急な斜面に並列した何百の不法建築家屋から成っている。

内戦期間中に人口が継続的に増加したメッゼ86地区の人口の大部分をアレヴィー派が占めている。この貧困地区で生活していると知られている層は、アサド政権期に任務に従事し、現在は武器と身分証を引き渡すために並んでいるシリア国軍兵士、警察、諜報機関の職員である。

タハリール・アル=シャーム機構が政権に就くまでは、この地区は、貧困であると同時に国の最も安全な場所として知られていた。シリアの中で戦略的な場所であり居住する住民構成ゆえにアサド政権が爆撃をしないことは確実という目で見られていた唯一の場所がここであり、実際にアサド政権期に鼻血さえ流れなかった地区住民の住処であった。

検問所を通過して細い路地を進んでいくと、貧困の次元がだんだんとより顕著になってくる。買い物から戻ってきた老人が手に持っている袋を示して、「年金は30万シリアリラであり、10万リラをこれに費やした。」と述べた。

緊張感が顔から窺われた。タハリール・アル=シャーム機構が来た時にパニックにとらわれたのは彼等であった。さらに、[地中海沿岸の]ラタキアに逃げたものもいた。ヒルミズ・アブドゥラーさんもタハリール・アル=シャーム機構がダマスカスに向かってきていると聞くや否や故郷であるタルトゥースへ向かった。「私達が去るときに彼らがやってきた。」と述べた。しかし、タハリール・アル=シャーム機構が虐殺せず、生活が正常に続いていることを知ると戻ってきて、家財を売った店のシャッターを開け、再び店頭に立った。

■武器の回収

アブドゥラーさんは「私達は未来が見えない。手が血塗られている人は怖がっている。」と述べて、自身は怖がっていないと述べた。しかし、アレヴィー派が怖がっていると話さないではいられなかった。彼もこの地区に内戦中に住み着いた一人だ。

タハリール・アル=シャーム機構がモスクのスピーカーから「家に武器があるならば、引き渡しなさい。」と呼びかけを行い、武器を集め始めたと述べており、いまだにこの事態は続いている。

しかし、メッゼ86地区では誰にも悪いふるまいが行われなかった。誰も何も強制されなかった。この状況はこの地区に暮らす一部の層を安心させたとしても、撮影中、私達の隣に来て携帯電話に届いた脅迫メッセージを示して、働いている新聞が親アサド政権であるため閉鎖され、自分自身も捜索されていることを述べると、皆が先の店の主人ほど安心ではないのがわかる。

タハリール・アル=シャーム機構が政権を引き継いでその先行きの不明瞭さの影響で、人々は、千シリアリラから4千から5千シリアリラに値上がりしたパンに忙殺すべきか、待ち受ける不安に苛まれるべきか、分からないでいる。

◾️アサドもタハリール・アル=シャーム機構も

道で出会した20歳のダマスカス大情報学部のジェシカ・イブラーヒームさんは様々な緊張の中暮らしている。タハリール・アル=シャーム機構が来るまで彼女はモデル業も行っていた。タハリール・アル=シャーム機構と名乗る人物たちが彼女が働いていた会社を訪問してきて、営業できないと述べると、そこに働いていた人たちもそれぞれの家に戻ったという。

母親がキリスト教徒で父がアレヴィー派であるジェシカさんは、アサドが去ったことを悲しんでもいないし、タハリール・アル=シャーム機構が来たことを喜んでもいない。不安を次のように口にした。

「私たちがアサドの保護下にあって特別な暮らしを続けていたものと人々は思っているけど、そうではない。全く楽には暮らしてこなかった。今、人々が私たちに復讐しようとしているのを恐れている。」

そもそもジェシカさんが明らかにしようとしたそうした恐れは、シリア全土に暮らすアレヴィー派・キリスト教徒社会の全体に当てはまる。タハリール・アル=シャーム機構がいかに誰にも危害は与えられないと担保しようとも、ほぼ全員が狼狽え不安を抱えている。

人々は、シリアが世俗的で、文明的で、自由な国になると信じたいが、この夢が実現するとは信じていない。

ただあらゆる緊張にもかかわらず誰も家に閉じこもっていない、タハリール・アル=シャーム機構の呼びかけに応じて全員が職場に戻り、通りや街中は活気にあふれている。自営業者は声をあげて客を引き込もうとし、男性や女性のグループは通りを絶えず練り歩いている。狭い路地では足の置き場もないほど混雑している。

◾️武器を置いて背後を振り替えず逃げる人々

アサド政権期に軍、警察、諜報機関で勤務していた人々は、水から上がった魚のように人々の中に紛れ込んで鬱々とどうすべきか考えている。

アサドの宮殿のすぐ背後にある歩哨小屋の一つで任務についていた際に、タハリール・アル=シャーム機構の兵士たちが来たことで武器や身分証を置いて一目散に逃げたアラア・アフメトさんはそうした一人である。今日、彼は「皆が安心・安全で暮らし、宗派対立のないシリアを望んでいる」と述べるものの、昨日までは軍隊に身を置いていた。

彼の友人たちはタハリール・アル=シャーム機構の呼びかけに従って指定された場所に赴いて軍の身分証を引き渡し新たな身分証を受け取るための列に並んでいるが、彼はこのことさえ行なっていない。

私たちは、力を手にする武器から得ていたこうした兵士が1日にして無力となった地区から離れて、新たな力の持ち主がいる検問所に歩を進めていく。武器は今度はそこで歩哨につく人々の手にあって、彼らと話す際に感じるのは、若い青年たちに撮影をしたいと私たちが許可を求める際に、彼らの表情に明確な自信が伺えることである。


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翻訳者:新井慧
記事ID:59335