シリア・シャラア暫定大統領の夫人はどんな人?
2025年02月05日付 Medyescope 紙

シリアで暫定期間の大統領と宣言されたアフマド・アッ=シャラア氏とその妻のラティーファ・アル=ドゥルビー氏は、公正発展党(AKP)の党首にして大統領のレジェプ・タイイップ・エルドアン氏の招待でトルコを訪れた。名家に属することで知られるラティーファ・アル=ドゥルビー氏について、私たちは何を知っているだろうか?
シリアの暫定大統領であるアフマド・アッ=シャラア氏の妻であるラティーファ・アル=ドゥルビー氏は、メッカでウムラ(小巡礼)の期間に初めて目撃された。シャラア大統領も、これまで妻のドゥルビー氏とともにカメラの前に現れたことは一度もなかった。ソーシャルメディアに出回る動画や写真には、2人がメッカのメスジト・ハラームでイスラム教の「小さな巡礼」とされるウムラをしている時の姿が見られた。
ドゥルビー氏は、昨日(1月4日)シャラア大統領がトルコを訪問した際にアンカラでエルドアン大統領の妻であるエミネ・エルドアン大統領夫人と集った。
アル=モニターのニュースによると、シャラア大統領は先週、首都ダマスカスでドゥルビー氏を来客たちに紹介した。シリア系アメリカ人の代表団の何人かは、ドゥルビー氏に会うことができて嬉しいと自身のソーシャルメディアで公表した。
シャラア大統領は、妻を「私のたった1人の妻、彼女をとても愛している」と言い代表団に紹介した。
◾️ラティーファ・アル=ドゥルビー氏とは誰なのか?
ドゥルビー氏は、シリア西部のフムス県に属するアル=カルヤタイン町の由緒ある家族の一員である。アラブのメディアに掲載されていたニュースによると、ドゥルビー氏は1984年に生まれた。
ドゥルビー家のルーツはオスマン時代まで遡り、家族の中には多くの重要人物がいる。家族のメンバーの中には有名な宗教学者たちもいる。こうした1人である有名なコーラン朗誦の師匠であるシェイフ・アブドゥルガファール・アル=ドゥルビーは、2009年にジッダで亡くなっている。
ドゥルビー家がオスマン時代から現在までシリアで活躍したことは知られている。ドゥルビー家のアラアッディーン・アル=ドゥルビーは、オスマン帝国で大使を務めた。彼は、1920年にわずか26日だけシリアの首相として職務を務めた後に暗殺されてしまった。
ジャーナリストのゼイネップ・カラタシュ氏が伝えるところによると、アラアッディーン・アル=ドゥルビーはスルタン・アブデュルハミドの主治医の1人である。
一族の1人であるガズィー・アル=ドゥルビーは、ハーフェズ・アル=アサド政権で1984年から1987年の間に石油・天然ガス大臣として務めた。
ドゥルビー氏は、アラビア語・文学の分野で修士号を所有しており、アフマド・アッ=シャラア氏と結婚してから3人の子どもがいる。ドゥルビー氏の妹も、ダマスカスのマーヒル・ムハンメド・マルワーン知事と結婚している。マルワーン氏は、シリアでバッシャール・アサド政権が倒されてから僅か1週間でダマスカス知事として任命された。
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翻訳者:遠藤光姫
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