
シリアの失脚したバッシャール・アサド元大統領の父の名を授かった息子、ハーフェズ・バッシャールの名前のアカウントは、ハイアト・タハリール・アル=シャーム(HTS)が主導する反政府勢力が支配を掌握する前のアサド一家のシリア国内での最後の日々を説明した。その直後にXプラットフォーム上のアカウントは凍結した。アメリカ人ジャーナリストのエヴァ・カレネ・バートレット氏は、投稿が彼自身のものであると確認した。以下が家族と共にモスクワに滞在し、学業を続ける息子アサドの「父がシリアを失った夜」の投稿である…。
火曜日、Xの@HafezBAlAssadというアカウントのページで「アカウントは凍結されました。」と表示された。Xのプラットフォーム上ではアカウントがソーシャルメディアのルールに違反したと明らかにされた。X(旧Twitter)のルールの中には、「テロリスト、暴力行為を支持する過激派または集団暴力攻撃の実行者」によって運営されるアカウントを禁止し、暴力やヘイトスピーチを含むコンテンツを禁止するといった条項が存在している。
◾️投稿が本物であると確認
シリア人たちは、月曜日にXで、ハーフェズ・バッシャール・アサドの名前のアカウントが現れたことを共有した。バッシャール・アサド前大統領の息子は、X及びテレグラムで自身の家族のダマスカスでの最後の瞬間に関する詳細を自身のコメントとともに投稿した。
アラブのメディア組織、特にアル=アラビア紙とアシャーク紙は、火曜日にこのアカウントが実際にアサド本人のものであると伝えた。アメリカのフリージャーナリスト、エヴァ・カレネ・バートレット氏は、Facebookのアカウントを通じた声明でこのアカウントが本物であると確認できると述べた。バートレット記者は、「アカウントが彼のものであり、詐欺ではないことを確認できる。最近、私たちは彼と連絡をとっており、彼がテレグラム・チャンネルとXのアカウントを開設しようとしていることを知っていました。」と述べた。
◾️「父がシリアを失った夜」
2001年12月4日に生まれた23歳のハーフェズ・アサドは、「父がシリアを失った夜」というメモとともに、アラビア語と英語の両方で行った投稿で「ダマスカスを離れるどころか、シリアを離れる予定や、それこそBプランさえ全くなかった。」と主張した。
2024年11月の終わりごろにハイアト・タハリール・アル=シャーム(HTS)は、シリア軍に対して大規模な攻撃を開始し、月末までにアレッポを制圧した。その後、12月初めには戦略的に重要なハマとホムスの街を占領し、12月8日には首都ダマスカスで[シリアを]完全に掌握した。HTSは現在、国内で暫定政府のリーダーをしている。
◾️ロシア当局者の真夜中の訪問
アサドの家族は、反乱軍が支配を掌握する寸前にモスクワに亡命し、ロシアから亡命権を認められた。息子のハーフェズ・バッシャールによれば、12月7日にダマスカスで「異常な」状態はなかったという。シリア軍がホムスから撤退したというニュースが入るまでは。ハーフェズ・アサドは、この展開を「驚くべきもの」と位置づけた。投稿によれば、シリアから離れるという決定は、真夜中過ぎにロシア当局者がアサドの家族を訪問したことによって下された。
アサド前大統領の息子は、「私たちはダマスカスを離れる準備を全くしていなかった。しかし、月曜日の(12月8日)の真夜中過ぎに、アル=マーリキー地区にある自宅にロシアの当局者が訪れた。そして、大統領(父であるバッシャール・アサド)にダマスカスの状況が深刻であるため数日間ラタキアに行く必要があると言った」と書いた。
家族は、アサド前大統領の息子の主張によれば、12月8日現地時間朝3時ごろに、ダマスカス空港に到着し、そこでバッシャール・アサドの弟、マーヘル・アサドと合流した。その後、一機のロシア軍用機でラタキアにあるフメイミーム空軍基地まで飛んだ。アカウントの当人によれば、家族はここで、さらに基地から約40キロ北にあるブルジュ・イスラームにある大統領公邸に行く計画だった。
◾️全ての電話が繋がらなかった
23歳のアサドは「そこで働く全員とコミュニケーションを取ろうと試みたが失敗に終わった。かけた全ての電話が繋がらなかった。そして、前線の部隊が撤退し、最後の軍事拠点が陥落したという情報が入り始めた。」と続けた。
アサド(23歳)は、基地が「ドローン攻撃」にさらされ、反乱軍の進軍が陸路でその土地を離れることを不可能な状態にしたと述べた。「モスクワは、フメイミーム基地の司令部に私たちをモスクワに避難させるように指示を出した。」という。一家は、12月8日の夜、ロシア軍用機でモスクワに到着した。
◾️アスマ・アサドはどこにいた?
息子のハーフェズ・アサドは、さらに、シリアにはその時に自身、父、弟のカリームしかおらず、母はモスクワにいたと説明した。
「11月20日に、チャム・ウィングス航空でダマスカスからモスクワに渡航しました。目的は、11月29日に博士論文の審査を受けることだった。その時期、母は夏の終わりに受けた骨髄移植ののち、隔離が必要な治療過程を続けるためにモスクワにいた。私は、審査の後いくつかの認定手続きを完了するため、しばらく滞在するつもりだった。しかし、シリアの状況が悪化したため、父と弟のカリームのそばにいるために12月1日(日)にシリア航空でシリアに戻った。母は治療を続けるため、モスクワに姉のゼインと残った。」
◾️ハーフェズ・バッシャール・アサドとは誰か
23歳のハーフェズ・バッシャール・アサドは、失脚したリーダー、バッシャール・アサドと元ファースト・レディーのアスマ・アサドの長男である。2023年にモスクワ国立大学を卒業し、その後同大学で数学分野の博士課程に進んだ。昨年11月に論文審査を受けたと報じられた。
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翻訳者:田端咲希
記事ID:59670