ガザ:瓦礫の間のイフタール、変わり果てたラマダーン

2025年03月01日付 al-Quds al-Arabi 紙

■瓦礫の間のイフタール… 「被災地」となったガザでの変わり果てたラマダーン

【ガザ:諸通信社】

ラマダーン初日のマグリブのアザーンが響くと、ガザ地区のパレスチナ人たちは集まり、イフタールの食卓を囲んだ。しかしそれはいつものように温かい家の中ではなく、破壊された家々の瓦礫の上や間、あるいは最低限の生活必需品すら欠くテントの中だった。

悲痛な光景のなかで、ガザ地区でイスラエルによる約16か月にわたる虐殺を生き延びた人々は、喪失と破壊の悲しみに包まれながら、ラマダーンで最初の食事をとった。

原始的なテント

ガザ地区北部では住宅街が完全に破壊され、パレスチナ人たちは原始的なテントに避難し、そのほとんどが缶詰といった簡素な食事で暮らした。

この悲劇が起こる前、パレスチナ人たちは自宅で豊かな食卓を囲んでいた。しかし今や、地面が彼らの絨毯となり、空が彼らの屋根となってしまった。

土地へのしがみつき

別の場面では、あるパレスチナ人は家族とともに、破壊された自宅の瓦礫の上でイフタールをとることを選んだ。これは自らの土地にしがみつき、強制移住の計画を拒否するという不屈のメッセージを含むものであった。

南部のハーン・ユーニス市でも状況は大きく変わることはなかった。何千人もの避難民が、食糧と水の不足にかかわる日々の苦しみのなかで、テントでのイフタールを余儀なくされた。

このような苦しみのなかでも、パレスチナの尊厳は失われなかった。生存者たちは困窮する人々に食事を分け与え、若者たちは断食をしている人々にナツメヤシや水を配るボランティア活動を行った。

一方ガザ地区南部のラファフ市やガザ市のシュジャーイーヤ地区では、虐殺作戦によって破壊された家々の瓦礫の間に数百人のパレスチナ人が集まり、集団のイフタールの食卓が設けられた。

愛する人の不在

しかしイスラエルによる虐殺で何万人ものパレスチナ人が命を落とし、イフタールの食卓に埋めようのない喪失感を広げたことで、彼らの不在は悲しみをもっとも大きな存在として残し続けた。

ガザ保健省は土曜日の時点で、2023年10月7日以来のイスラエルによる虐殺戦争による、ガザ地区の犠牲者数が48,388人に達したと発表した。

今年2月2日には、ガザの政府広報局長であるサラーマ・マアルーフ氏は、イスラエルによる虐殺戦争の結果、ガザ地区は「被災地」になったと宣言した。

ガザのラマダーンは、もはや以前の姿を失ってしまった。ラマダーンの夜を特徴づけていた家族の集まりは消え去り、それに代わって避難民のテントが立ち並び、彼らの苦しみを映し出している。

そして破壊にもかかわらず、パレスチナの人々は必死に生活を続けようとしている。彼らは荒廃のなかに希望の光を灯そうと、崩れた壁にランタンを吊るし、カラフルな壁画を描いた。

イスラエルは、「必要不可欠な」人道支援物資のガザ地区への搬入を許可していない。特に、被害を受けたパレスチナ人への緊急避難所を供給するための20万張りのテントと6万戸の移動式住宅がその内容である。ガザの政府当局は、このことが今年1月19日に発効した停戦合意に違反していると捉えている。

イスラエルは米国の支援のもと、2023年10月7日から2025年1月19日にかけて、ガザで大量虐殺を行い、その大半が子どもと女性である16万人以上のパレスチナ人を死傷させた。さらに1万4,000人以上が今もなお行方不明となっている。

今年1月19日には、ハマースとイスラエルの間で結ばれた停戦および捕虜交換に関する合意が発効した。この合意は3つの段階からなり、それぞれ42日間続く。エジプトとカタールの仲介、そして米国の支援によって成立した。


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翻訳者:新藤花絵
記事ID:59773