バフチェリ「(クルド問題解決策へ)弓は放たれた、船は焼かれた」
2025年12月07日付 Medyescope 紙
ジャーナリストのルシェン・チャクル氏が、民族主義者行動党(MHP)のデヴレット・バフチェリ党首による「矢は放たれ、船は焼かれた」発言についてコメント。バフチェリ党首の発言ではクルド問題解決への歩みは後戻りできない段階に達していると強調された。チャクル氏も、人民平等民主党(DEM党)が主催した国際平和・民主主義会議を傍聴したうえで、トルコ側、クルド側ともに来た道を引き返すことはできないとし、さもなければトルコは莫大な代償を払うことになると指摘した。
MHPのデヴレット・バフチェリ党首は、12月2日付Türkgün紙のインタビュー記事で「テロなきトルコという目標を断固として追い求める」と表明し、この道は後戻りできない地点に達していると述べた。
また、目標からの後退はないと強調し、次のように述べた。
「矢は放たれ船は焼かれた。我々の決意は揺るぎなく議論の余地はない」
その際、テロなきトルコという目標は共和国史上最も効果的かつ感動的な歩みであり跳躍であるとし、目標達成までの道のりに譲歩や躊躇は一切ないと強調した。さらに、クルディスタン共同体同盟(KCK)執行委員会の共同議長ベセ・ホザット氏の発言について「彼らの挑発は無益だ。彼らの野望は打ち砕かれる」と批判した。あわせて和平プロセスの中断はありえないと強調した。バフチェリ党首は、ホザット氏発言は「テロなきトルコ」へのプロセスを中断させようとするサボタージュ的企てだと主張した。
バフチェリ党首は、2月27日のイムラル島(に収監されているオジャラン師からの)メッセージに反するような(ホザット氏の)発言には悪意があるとし「シオニスト帝国主義体制に公然と隷属するものだ」と述べた。
■「プロセスの後戻りはできない」
チャクル氏も、和平プロセスはもはや後戻り不可能な段階に達していると強調し、「今週ずっとバフチェリ発言が頭から離れなかった」と述べた。また「『矢は弓から放たれ船は焼かれた』とはかなり大胆な言葉使いだ。和平プロセス、そしてテロなきトルコに向けた言葉だ」と続けた。
■バフチェリ党首発言はなぜ重要か?
チャクル氏はバフチェリ党首発言の重要性を次のように説明した。
「バフチェリは、かつてクルド和平問題において最も強硬で妥協を許さない人物と思われていた。しかし今日、彼は和平プロセスの創始者だとみなされている。ある意味、彼はアブドゥッラー・オジャラン氏と肩を並べている」
チャクル氏は、これがオジャラン師の発言なら深い意味はなかったかもしれない、と前置きしつつ「多少なりの影響はあっても深い意味はなかっただろう。せいぜいオジャランを嫌う一部の人々に『何をしようとするつもりだ? 国が諦めたのにお前に何ができる?』と言わせる引き金になった程度だろうが、バフチェリが発言したとなれば話は別だ」と述べた。
■発言は誰宛?
チャクル氏は、バフチェリ党首のメッセージは、そもそもエルドアン大統領をはじめとする大統領側近らに向けられたものだとし、「(バフチェリ党首は)『今こそ行動を起こす』と述べ、そのうえで『後戻りできない』と言っているのだ」と評じた。加えて、双方とも最小の労力で最大の利益を得ようとしていると指摘した。
また、トルコ政府がクルド側組織なりジャラン師と交渉することが、クルド組織側にも一定の力を与えているとも指摘した。「国会内のとある委員会がオジャラン師のもとへ送られたいう事実は、(収監されているはずの)オジャラン師の合法性を示すものだ」と述べた。
■和平プロセス放棄の可能性はあるのか?
チャクル氏は、トルコ政府が土壇場で和平プロセスを放棄するにちがいないと多くの人が考えていると指摘し、「クルド人にもそのように考える人々がいるのを承知している。政府が土壇場で仕事を放りだすのではないかという空気感がある。政府は得るべきものを得る。オジャランはすでに手中にあり、なおさら得るべきものを得て、あとはあれこれと言い訳をする。世界でもそのような前例はある、プロセスは放棄されると考える人はいる」と述べた。
加えて、クルド組織側もそう簡単にはオジャラン師のメッセージを飲み込めないとし、「彼らがどれだけオジャランの要求を達成したように見えたとしても、どうせどこかで問題を起こすだろうと考える人もいる」と話した。
とはいえ、チャクル氏によればバフチェリ党首の発言は現実を捉えている。類似の発言がカンディルの山々(クルド組織上層部)からも上がっていることを踏まえ、チャクル氏は次のように続けた。
「彼らが何を言ったかというと、 (和平プロセスは)数ある選択肢の一つではなく、唯一の選択肢だと述べたのだ。彼らにとって現時点で政府とオジャランの合意以外に双方納得いく解決策はなく、それどころかほかの解決策などないと述べているのだ。つまり(和平プロセスは)必要不可欠なのだと説明している」
■「もはや後戻りできない」
チャクル氏は、ほぼ1年にわたる歩みの後に振り出しには戻れないと強調し、「こうした歩みの後、今さら振り出しに戻るのは不可能だ。つまり、バフチェリとDEM党員と握手した2024年10月以前には絶対に戻れない」と述べた。また、もし後退となれば誰もが大きな代償を支払うことになり、あるいは究極的にはトルコが新たな混乱の時代を迎える可能性さえあると述べた。さらに、2015年にも同様の出来事があったことを振り返って次のように締めくくった。
「前回、和平プロセスに乗り出そうとしたときに生じた空白期間、つまり二度の選挙と選挙の間の空白は非常に危機的だった。トルコを恐るべき断崖絶壁へ追いやる可能性が十分にあった。ある意味、エルドアンが単独政権に返り咲いたことで事態は終結した。しかしまた同様の混乱が起きたらそのときはもはや収拾不可能だろう」
■ルシェン・チャクルの論説全文
こんにちは、よい一日、そしてよい週末を。私は先週アンカラでMHPグループの会議を見学するつもりだった。しかしその日、MHPの会議が中止になったと知り、正直がっかりした。しかして同日、党の機関紙になり果てたTürkgün紙でデヴレット・バフチェリのインタビュー記事が掲載されているのを見つけた。グループ会議で発言しようとしていた内容がインタビュー形式で掲載されているのは明らかだ。その日がインタビューの1日目で、掲載は3日間連続だった。初日は主に和平プロセスが議論されていた。そのインタビュー記事でのバフチェリ発言が、一週間ずっと私の脳内をぐるぐる巡り、結局、今日のコラムの見出しにすることにした。矢は放たれ船は焼かれたとは非常に大胆な発言だ。和平プロセスを表現した言葉であり、テロなきトルコのために発言された言葉であり、何よりも発言者がバフチェリその人である。それがなぜ重要かというと、ある意味、つい最近までバフチェリはこの問題に関して最も強硬かつ妥協を許さない人物と見なされていたからだ。それが、今日、彼は和平プロセスの創設者としてアブドゥッラー・オジャランと肩を並べている。もしこの言葉がオジャランから発されたものなら、そんなに大きな意味はもたなかったかもしれない。多少はあるかもしれないが、せいぜいオジャランを嫌う人々に「何をするつもりだ?国が諦めたのにお前になにができる?」と言わせる程度だっただろう。しかしバフチェリ党首が言ったとなれば話は別だ。
まず、このメッセージが誰に向けられたものなのかを見てみよう。私見では、エルドアン大統領をはじめとする仲間たちに向けられたメッセージである。
つまり「いよいよ行動を起こす」と述べたうえで「ここから後戻りはできない」と言っているのだ。ここで(トルコ政府とクルド組織という)二陣営が登場する。双方とも最小の労力で最大の利益を得ようとしている。当然ながら政府側が強者に、クルド組織側は弱者に見えるわけだが、政府が組織なりオジャランなりと何らかの形で交渉の席につくことは、組織にも一定の威力があるという認識を示している。議会内のとある委員会がオジャランのもとを訪れたことも、彼の正当性を示すものだ。
ここでバフチェリ党首は、共に歩き出し、協力してきた人々、私見では第一にエルドアン大統領に「もう後戻りはできない」と述べているのである。そして実際には世論、特に自分の支持層、つまりクルド人以外で、自らを民族主義者とかトルコ民族主義者と定義する人々に「仲間たちよ、この歩みはスタートを切った。後退はない。我々は成し遂げねばならない」と伝えているのだ。しかしなぜ? 本当に?クルド人の一部も含めた多くの人は、「国家は土壇場でこの仕事を投げ出すだろう」と信じている。今あるのは、「政府は得るべきものを得る。オジャランはすでに手中にあるのだから、なおさら得るべきものを得る。そして言い訳をする。あれが起きる、これが起きる」と。世界的にそうした前例がある。和平プロセスを投げ出すと考えている人々はいるのだ。同じようにクルド組織側もこの問題を簡単には飲み込めないだろう。組織がどれだけオジャランの要求を達成しているように見えても、どうせどこかで問題を起こすだろうと考える人はいる。
とはいえ、バフチェリの発言は現実を捉えていると思う。というのもカンディルの山々にいる一部のクルド上層部からも似たような発言がみられるからだ。たとえば、「これは数ある選択肢の一つではなく、唯一の選択肢だった」という言葉。現時点で、トルコ政府とオジャランの合意以外に双方にとって合理的な解決策は存在せず、それどころか(合理的でない)解決策すらないと言うのである。その説明によればこれは必然なのだ。ここでもうひとつ重要な点は、一年前から今までにそれなりの歩みがあるということだ。これだけ歩いた後、今さらまたふりだしに戻るのは無理だ。つまり、2024年10月、DEM党員とバフチェリが握手する前、2024年9月30日のトルコに戻ることはもはや決定的に不可能である。今さらあの時点に戻るとしたら誰もが莫大な代償を払うことになるし、究極的にはトルコが新たな混乱の時代に入りかねない。実は2015年にも同様の事態は発生していた。前回、和平プロセスに乗り出そうとしたときに生じた空白期間、つまり二度の選挙と選挙の間の空白は非常に危機的だった。トルコを恐るべき断崖絶壁へ追いやる可能性が十分にあった。ある意味、エルドアンが単独政権に返り咲いたことで事態は終結した。しかしまた同様の混乱が起きたらそのときはもはや収拾不可能だろう。
では後退はありえるか?私は昨日、DEM党主催の国際平和・民主主義会議の序盤を傍聴した。会議出席者は世界各地から集まっていたが、中心はクルド人運動家だった。ジャーナリストも多数、政治家もいた。会議で何が起きたかというと、オジャランのメッセージが読み上げられた。読み上げたのは長年オジャランと共に活動し、最近釈放されたヴェイシ・アクタシュである。彼は明らかにオジャランが最も信頼する人物の一人だ。続いて、シリア民主軍の外務担当責任者であるイルハム・アフメド氏がオンライン出席し、クルド語でメッセージを読み上げた。ちなみにDEM党のトゥライ・ハティムオールラル共同党首はスピーチの大部分をアラビア語で行ったことを付け加えておく。会議は、英語、トルコ語、アラビア語、クルド語の4言語で展開された。バルザーニー氏の代理とタラバニ氏の代理が短い挨拶をし、その後、多様なテーマについて地元と外部の参加者が入り混じって議論が続いた。今日はその2日目である。
2年前ならこんな会議名すら出せなかった。会議で交わされた言葉や挨拶の一つ一つには、非常に深い意義があった。トルコがここまで来たということだ。この会議自体がトルコが到達した地点を示している。ついでに言っておくが、DEM党がこれほど短期間で成功裏に会議開催に漕ぎつけたことは本当に称賛に値する。私は彼らにも責任者にもそう伝えた。これもDEM党が真の意味でハードルを乗り越えたことを示している。私は和平プロセスにおけるDEM党の動きを厳しく批判しているが、この会議は本当にしっかりと運営されていた。さらに言えば、バルザーニーの警護に関する事件がなければイルハム・アフメド氏だって(オンラインではなく)対面で会議に出席できただろう。警護問題で似たようなリスクを冒したくなかったのだろうと理解できる。そのうち、マズルム・アブディ(シリア民主軍司令官)の姿をトルコで見かけることさえ驚くべきことではなくなるだろう。多くの議論があることは承知している。懸念も多い。特に、直近のイムラル島訪問と議事録に対する議論はある。こうしたものは全部あるし、今後も増えるだろう、山ほど。何しろ何年も続く根深い問題であり、解決はそう容易ではない。両者が会議の場で望ましい地点に到達するのは簡単ではない。繰り返すが、双方とも、最小の労力で最大の利益を得るべく動くし、双方とも、自らの支持基盤からの圧力を常に背後に感じ続けることだろう。可能な限り慎重に行動しようとすることだろう。しかし矢は放たれ船は焼かれた。もはや退路はない。燃やされた船に代わって、一度通った大陸から、さらに過去に通った大陸へ戻りたがる者たちが乗れる船はない。泳いでも渡れるような状況でもない。
さぁ、本題はここまでにして、今日の献辞は推理作家アガサ・クリスティに。推理作家と言われて真っ先に思い浮かぶアガサ・クリスティを語らずには終われない。アガサ・クリスティは英国人で1890年から1976年まで生きた。おそらく世界で最も売れた小説家だろう。エルキュール・ポアロとミス・マープルという二人の異なる探偵が登場する。彼女の著書は数多く、テレビシリーズや映画にもなっている。例えば『オリエント急行殺人事件』など。彼女は常に世界の注目を集め、今でもベストセラーであり多くの読者がいる。特に推理小説を知らない人、あるいは躊躇している人にはアガサ・クリスティは良い入門作家だ。彼女は毎回読者を驚かせるのだが、あまりにも有名で話題性が高く、映画化・舞台化を経験しているため、今やどの作品も結末がわかってしまうのが最大の難点だ。
推理小説に多様なスタイルがある中で、アガサ・クリスティの大きな特徴でもあり、もっとも人気のある形式は、最終的に犯人、つまり殺人犯が誰かを突き止めることに焦点を当てている点だ。複数の事件が絡み合う展開もあり、この点においてアガサ・クリスティ作品には非常に創造的な事件も多い。未読の方々のためにネタバレは避けるが、彼女の手法はそういうものなのだ。つまり物語を最後まで展開させ、最終局面で読者を驚かせる。本当に成功した作家だ。なお、彼女自身のトルコ冒険譚もあるのだがそれはまた別の機会に。そのストーリーは映画にもなった。ペラ・パレス事件といってアガサ・クリスティとセットで連想される。そうだ、彼女はこれほどのタイトルをすべて書いた。尊敬と感謝を込めて思い出す。そして彼女にはどうか私たちを助けてくれとお願いしたい。そうすれば、我々も存在し続けることができる。以上、私の話はここまで。ごきげんよう。
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翻訳者:原田星来
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