コラム:ネット上での吠声

2026年01月02日付 al-Quds al-Arabi 紙

■「エレクトロニック軍」にはどのように対処するか?

【ファイサル・カースィム】

私は、犬への対処について最初の教訓を、本からではなく体験から学んだ。村はずれで牛を放牧していた子どものころのことだ。牛を連れて牧草地へ向かって歩いていると、遠くから痩せた犬が現れ、獰猛さと強さを誇示するように、吠え立て、唸り声をあげた。まるで世界を壊してしまうかの勢いだった。私たちは石を投げつけたが、そのとき自分たちが最大の間違いを犯したと気づいた。こちらが彼らに向き合った瞬間、犬が欲しがっているもの、つまり「注目」を与えてしまうからだ。犬は、こちらが自分たちの声を聞いたと分かった途端、吠え声と興奮を増していった。そうした経験を重ねた末、私たちは黄金則にたどり着いた。相手にされない犬は、自分から黙るか、あるいは痛々しく吠えるだけで終わる。

牧草地の日々に身についたこの単純なルールは、その後、私にとって生活上の哲学になった。世界は吠える犬で満ちていると気づいたからだ。政治でも、メディアでも、SNSでも、どこにでも、自分の声を聞かせたいがために吠える者がいる。彼らが何か言うべきことを持っているからではなく、黙って周縁に置かれることに耐えられないからであり、あるいは他人のために金で吠えているからだ。

いまや犬は牧草地の端で息を切らすのではなく、画面の向こうで息を切らしている。スーツを着てカメラの前に座る者もいれば、偽のアカウントの陰に隠れる者もいるが、本質は、通行人に吠えかかったあの田舎の犬と変わらない。違いがあるとすれば、あの犬は吠えることに正直だったのに対し、彼らは「分析」や「意識」や「勇気」を装い、空っぽの叫びを体裁のいい言葉で包んでいる点にある。

彼らは、あなたが返した声の中に自分の吠え声の反響を聞いたときにしか、生きていられない。くだらないことや罵倒や侮辱を書き散らし、あなたが返すのを待つ。罵ってくれ、と。説明してくれ、と。あなたの反応こそが、彼らにとって存在の酸素だからだ。だが無視されると、彼らは窒息する。もっと大声で叫び、同じ吠え声を何十回も繰り返し、やがて疲れ果てて倒れる。

そして何より滑稽なのは、憎悪と愚かさを混ぜ合わせて、必死にあなたの注意を引こうとする姿だ。あるときは「自由な意見」の名であなたを攻撃し、あるときは「愛国」の名で、あるときは「反対派」の名で、あるときは「尊厳」の名で襲いかかる。だが実際には、名誉も尊厳も一かけらも持っていない。欲しいのはただ注目だけだ。あなたが彼らの名を口にし、あるいは反応してやることが、くたびれた胸にぶら下げる勲章になるのだから。

(後略)


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翻訳者:遠藤美佑
記事ID:61410