もしイランの体制が解体したら、トルコへの影響は?

2026年01月31日付 Medyescope 紙

イラン革命以降の最も不安定な時期を迎えているイラン政権の正統性の危機と、アメリカの介入と地域のバランスはイラン政府のみならずトルコ政府の将来にも直接関係するだろう。外部介入に抵抗する必要がありつつも、抑圧的なイラン政権をはっきりと非難する必要もあるというこの構図は、政変によってトルコの外交政策からイスラム運動の運命に至るまで、広く地政学的かつイデオロギー的な震撼が引き起こされかねないことを示唆している。

未来を知ることはできない。ゆえに最も賢い戦略は「ああなったらどうなる、こうなったらどうなる」と広範な推測をすることだ。イラン政権はイラン革命以降で最大の難局を迎えている。社会的正統性を大幅に失った致命的な状況であり、さらには人々に希望を与える経済施策も改革の計画も存在しない。最大の問題はアメリカによる介入だろう。
ここではミクロなアプローチをせざるをえない。イランの場合、相反する勢力が集合した(相反するものの調和)(訳注:イスラム神学用語)状況だ。間違いなく外部介入の戦争であり、反対しなければならない。しかしこの姿勢がむき出しの真実を覆い隠すべきではない。イラン政権は抑圧的で冷酷であり、正統性を大きく失って、財政破綻した政権だ。政府を批判したというだけで、若者たちを殺害する。
倫理的観点から、外部介入に抵抗しなければならない一方で、イラン政権の非人道的な施策も明確に非難されなければならない。私が時折会うヨーロッパ在住の反体制派イラン人の何人かは、ハメネイ師のことを「テヘランの屠殺人」と呼んでいる。政権が2万人を超える人々を最近殺害したことを振り返ると、この評価を否定するのは難しい。
私が間違っていなければ、1966年にイラン国王に対して反対運動を行った若者たちも殺害された。当時トルコ国会でトルコ労働者党(TİP)の国会議員だったチェティン・アルタン氏は壇上からイラン政権を痛烈に非難した。今日反対運動をする若者たちを殺害したイラン政府は非難されなければならない。イスラム的にも世俗的にも、倫理的観点からイラン政権を非難しなければならないのだ。

■トルコへの影響

知られている限りでは、トルコは戦争せずに危機を解決する努力を見せている。しかし可能性のフィルムを少し早送りしてアメリカが政変を狙ってイランへ介入していると仮定しよう。この状況でトルコはどうするか?個人的な見解としては、トルコ政府はおおよそベネズエラで見られた動きを繰り返すだろう。
欧米の著名なコメンテーターのなかには、アメリカはイラン問題に関して、シリア新政権問題においてと同様に、トルコ政府はアメリカの味方側だと思っていると主張する人もいる。
トルコとイランは複雑な関係だ。シリアでは対立する戦線で事実上「戦った」。イエメンや湾岸諸国などの多くの戦線でトルコとイランは異なる側に属した。にもかかわらず、実用的な貿易外交関係を続けた。いうなれば、トルコとイランの間にある関係は元気づけあう友好関係でも殺しあう敵対関係でもないのだ。
アタテュルク主義のトルコはイラン革命後に成立したイラン・イスラム共和国を、確か1979年2月頃、すなわちすぐさま承認した。アメリカの禁輸措置の間、トルコはイランと対立する立場にはならなかった。つまりイランで政変が起きれば、ポスト・アタテュルク主義のトルコはほぼ同じ期間内に新政権を承認するだろう。トルコ共和国はつまるところ「トルコ人国家」であり、イランナショナリズムの体現であるイランでの国家を、それがイスラム主義であるか否かに関わらず、実用的なアプローチとして承認する。トルコ・イラン関係において中身より外装のほうがより重要なのである。
ある種の「味方でも敵でもない」という理解は、トルコとイランのナショナリズム的政治での関係を定義し続ける。ここでもう一つの重要な点は、トルコ政権内のイスラム主義者(とその同盟者)は現在アメリカとの関係をより重視していることだ。この観点では今日のトルコと1980年のエヴレン政権下のトルコと大差はない。
このシナリオを崩しうる唯一の可能性は、政変後のテヘランで親イスラエル反トルコの一派が積極的に権力を握ることだろう。しかし短期的な変動を除き、これが永続的な潮流が起こすと今日に考えるのは適切ではないだろう。

(後略)


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翻訳者:伊藤梓子
記事ID:61592