逮捕のムフタファ・ボズベイ市長はどんな人か?

2026年03月31日付 Medyescope 紙

共和人民党(CHP)が市政を握る自治体に向けた一連の強制捜査の最新のもので、ブルサ広域市のムスタファ・ボズソイ市長が拘束された。では、彼はどんな人物で、どのように政治の道に進んだのか。CHPとともにどのようにブルサの市政を握ったのか。

(中略)

では、ムスタファ・ボズベイ市長はどんな人だったのか。

1962年にブルサで生まれ、初等・中等教育をブルサで修了したのちアナドル大学土木工学科を卒業した。修士課程も同分野で修了し、土木高等技師の称号を取得した。

ボズベイ氏は職業人生を民間部門から始め、1989年には自らの建設会社を設立した。長年ブルサにて住居および建設のプロジェクトに尽力した。

◾️政界進出とニリュフェル区長時代

ボズベイ氏の政治キャリアは1999年の地方選挙とともに始まった。民主左派党(DSP)所属でニリュフェル区長に選出された。自らのインターネットサイトによれば、ボズベイ氏は1999年の地方選挙後に自社での役職と権限を委譲した。

2004年には共和人民党に加わった。2004年での地方選挙でも勝利したボズベイ氏は、「ブルサ政治史上、中心区で2期連続で当選した最初で唯一の市長」となった。

同氏は、2004年、2009年、2014年の地方選挙でも再選され、合計4期、20年に亘ってニリュフェル区長を務めた。

この期間にニリュフェル区では区評議会、地区議会と参加型予算の実施といった地方行政のモデルが実現された。区の文化センター、公園、社会プロジェクトが際立った。

◾️ブルサ広域市市長候補と選挙のプロセス

ムスタファ・ボズベイ氏は、2019年の地方選挙において共和人民党のブルサ広域市市長候補者となった。47.03%の有効投票を獲得したボズベイ氏は公正発展党の牙城であるブルサにて、自党の得票を記録的なレベルまで引き上げた。

2019年の地方選挙では、公正発展党は広域市に加え全17の区中13区を獲得した。

この時の選挙では、ボズベイ氏の対立候補で公正発展党の候補として競ったアリヌル・アクタシュ氏は、得票率49.62%で選挙に勝利した。

ボズベイ氏は2024年の地方選挙で再度共和人民党のブルサ広域市市長の候補として出馬した。またボズベイ氏と共和人民党はブルサで47年ぶりに市政を握った。ボズベイ氏は2024年の地方選挙で47.62%の得票率で勝利した。

47年前の共和人民党では、ムスタファ・エロール氏がブルサ市長に当選していた。

◾️「公正発展党に移籍する」という主張

23年間共和人民党で政治を行ったアイドゥン広域市のオズレム・チェルチオール市長が離党し公正発展党に加入した後、似た主張がブルサとスィノプ両自治体に関しても出回った。

ブルサのムスタファ・ボズベイ市長と49.36%の得票率を獲得したスィノプのメティン・ギュルビュズ市長は、その主張を断固として否定した。当時SNSアカウントにて声明を発表したボズベイ市長は、「この主張は唯一つの目的しかない。彼らは別のことを狙っているである。」と述べ、役職に就いて以降誰も排除せずに行政サービスを提供してきたと強調した。

◾️攻撃を受けていた

ボズベイ市長は2026年1月6日、[ブルサ広域市]ユルドゥルム区のデイルメニョニュ地区にて開催した住民対話集会で攻撃を受けた。

元ユルドゥルム区の共和党区議会議員であるレジェプ・B氏とその同行者らは、まずボズベイ市長を侮辱した後、彼に向かっていった。

ボズベイ市長は襲撃未遂の後、この件に関して声明を出し、事件は個人的なものであったと強調した。「これらは残念ながら望まない事件であったが、我々の社会にはこのようなことが存在する。これは私たちの地区の問題でも他の問題でもない。個人的な問題である。我々の地区長にも悲しまないでほしいし、地区住民の皆さんにも悲しまないでほしい。」

ボズベイ市長は、また2024年5月8日以降行われた選挙により、マルマラ地域自治体連合の会長でもある。


この記事の原文はこちら

同じジャンルの記事を見る


翻訳者:宮本 丞
記事ID:61886