トルコは正常化するか?
2026年04月12日付 Medyescope 紙

メディアスコープの放送ディレクタールシェン・チャクル氏は、「トルコは正常化するだろうか?」というタイトルの放送で、トルコは深刻化する分極化が社会の一体性を脅かしていると述べながら「トルコは正常化をする必要がある。正常化が運命づけられている。もしそうでなければ、この国はいかなる役にも立たない状況になってしまいかねない。」と述べた。
■ビデオの要約
・ルシェン・チャクル氏は、トルコにおける分極化が社会の一体性を脅かしていると述べた
・分極化は、政権によって常時続けられていて異なる人々を目標にしている
・2015年の選挙ののちのプロセスはトルコの分極化を深めて独裁政権への道を開いた
・チャクル氏は、トルコが正常化することができるように法律と自由が再び強くなる必要があると述べた
ルシェン・チャクル氏は、イズミルで開催されたイベントに出席後に行った放送で、トルコの政治情勢と社会の分極化について評価した。同氏は、国内の分断の深化は持続不可能であると強調し、「トルコは非常に深刻な分極化状態にあり、この状況は国の将来を脅かしている」と述べた。
イズミルで開催された「第8回サイコドラマ・デイズ」イベントに言及し、チャクル氏は今年のテーマが「帰属意識」であったことを指摘し、トルコでは共に生きるという考え方が徐々に弱まっていることに注目を促した。アイデンティティに基づく議論が社会の結束を脅かしていると述べ、チャクル氏は「この国では、共に生きようとする意志が問いただされる状況になった」と述べた。
■「2015年以降の時期が転換点となった。」
ルシェン・チャクル氏は、自身の評価の中で、特に2015年6月の選挙後の時期を指摘した。同氏は、その時期にトルコには「正常化」の機会があったにもかかわらず、事態は逆転したと述べた。チャクル氏はさらに、新たな選挙までの期間に高まった治安危機と政治的緊張が、トルコを別の方向へと導いたと付け加えた。
ルシェン・チャクル氏は、 7月15日のクーデター未遂事件とその後の非常事態宣言によってこの亀裂はさらに深まり、トルコはますます権威主義的な統治体制へと傾きつつあると主張した。
■「分極化は政治の主要な手段となっている。」
メディヤスコープの編集長であるルシェン・チャクル氏によると、政府は社会のさまざまな層を異なる時期に標的にすることで、一貫して分断を維持してきたという。チャクル氏は、クルド問題からギュレン派テロ組織(FETÖ)との闘いまで、多くの問題で新たな分断領域が生み出され、最近では共和人民党(CHP)が標的になっていると述べた。
ルシェン・チャクル氏は、与党が国民運動党と結んだ同盟関係について言及し、この政治構造は相互依存によって維持されていると述べた。
■「トルコには法の支配と自由が必要だ。」
チャクル氏は、トルコが正常な状態に戻るためには基本的人権と自由を強化することが必要だと強調したが、現状ではそれは困難であると述べた。「法と自由がなければ正常化は不可能だ」とチャクル氏は述べ、社会の様々な層が共通の基盤を見出す必要があると付け加えた。
■動画の文字起こし
ギュルデン・オズデミル
こんにちは、良い一日を。イズミルから良い日曜日を。昨日イズミルに来ました。今日戻ります。イズミルで非常に興味深い会合に招待されていました。ミュゲ、私の妻のミュゲ・イプリクチが、あるスピーチを行いました。事件とはなんでしょうか?
第八回イズミル心理ドラマ週間です。この年のテーマは、「帰属」の問題でした。
大変に面白かったです。とても混雑していました。大部分は女性たちにより構成されていました。心理ドラマといえば、もちろんのこと、心理ダイアローグ、精神科医に重点が置かれていたのをはじめて、学生たちもいました。とても面白い体験でした。
私にとっても。そして、今あなたがみている、私の猫たちの代わりに彼らがこの集まりのために用意されたバッジとともにあなたの目の前にいます。そして帰属について話しています。もちろんのこと、これは非常に多面的な問題です。皆が異なる見解から意見を述べました。ミュゲが最後におこなった「偽りの天国からの逃亡」という小説から出発して何かを述べました。語りました。非常に素晴らしい質問が来ました。そして私も帰属について私も今日何か言おうと思っているのです。しかしながらこのことの以前に、もちろんのこと、個人の問題、全ての個人の問題があります。しかしながらまたこの国においては、トルコにおいては皆が一緒に暮らしているという問題があります。その暮らすということの問題が続くのかどうなのか、という問題です。
トルコは非常に深刻な形で分極化の中にあります。非常に危機的な時代に生きています。そしてイズミルは私にとってこの意味でとても意味があることです。今、再びこの放送の前に見ていました。現在、あなたたちにこの録画を行ったときに、泊まっているホテルにとても近い場所で―その歴史においてPeriscopeのアプリがありました。ご存じでしょう。実際のところ、Medyascopeの基盤もPeriscopeの上で作り上げました。私は一人で、HDPの6月の選挙の会合を見学しに行きました。そしてその会合は、私に非常に衝撃的でした。イズミルにおいてHDPは、セラハッティン・デミルタシュ、つまりは昨日、彼のことを取り上げたのです、わかりますでしょう。その後ですぐにその先のある場所で、会合が終わったのちに、ヤシの木の下で座って、より正確に言えば崩れ落ちて、とても疲れてしまいました。ペリスコープでは生放送を行いました。そして会合の評価を、5月20日であったに違いません。2015年の。私が初めてPeriscopeで行った放送の一つです。すでに、Periscopeは存在しません。その頃には存在していましたが、新しい進展がありました。とても驚くべき数の人が視聴していました。日曜日のことと思いだします。狂ったように人々が視聴しているのです。コメントを残すなどします。一体どこまで来てしまったことかと驚きました。非常に大きな関心がありました。HDPの台頭、HDPがトルコの政党となる宣言そして10%以上の得票数であることがこれを示していました。
その時期のトルコは非常に重要です。決定的な時期でした。実際のところトルコの正常化に向けた時期でした。AKPの政権は、その時期に13年目でした。AKPの政権はすでに終了を迎えようとし、トルコでは連立政権が生まれる時期でした、2015年の選挙は。AKPは単一で勝利を初めてすることができず、エルドアンは、国の目をそらそうとしていました。そしてその間に国は、ちょうどカオスの状況へと連れ込まれたのです。
あらゆる都市で、とりわけ大都市で非常に深刻なテロの活動があり、殺人事件が次々に横行しました。そしてエルドアンはそのようにして国を新たな選挙へと連れだしたのです。今、ご存じのように今日においてCHPは中間選挙の議論をおこなおうとしていますCHPは。エルドアンは、そこで国をすぐに数か月後に新たな選挙へと連れ出し、そして生み出した異常な状況のために、防衛の不安に陥った選挙は新たな支持とともに再び単独与党となりましたエルドアンは。そして国を普通の道から追いやったのです。そののちにも約一年後に、クーデターの動きを目撃しました。ファトフッラー派たちのクーデターの動きです。その能登にも異常な状況などと言いながら、トルコは正常な動きから完全に離れてしまいました。国は異常な状況へ、弾圧、権威主義の強化へと道が開かれて、これを行う間に政権はもう一方で分極化を奨励しました。
分極化には異なる道筋が存在しています。例えばついこの前に解決プロセスを実行したクルド人たちに対して、クルド人運動とともにある戦争に入りました。そして、テロと紐づけて「悪魔化」をおこなったのです。一つの分極化をもたらしました。そののちには、何年間にもわたって連立をしていたフェトゥフッラ―を敵だと宣言しました。そこでもまた別の分断を生み出しました。このようにして、分断を図ったエルドアンはトルコの統治を続けていますが、それは実際のところ独裁です。MHPと組んだ連立政権があります。そしてこれは双方が依存している関係です。そしてさらに最後にここでまた別のことを見たのです。CHPに罪を擦り付け、分断を継続しようとするエルドアンがいます。5月19日のプロセスはこの一例でしたし、これは今も継続しています。常に人々をある形でお互いに争わせる陣営の状況にしようとしているのです。もしくは、CHPに対して言うように、「来なさい、アンカラに残りなさい。それ以外のことはしないでください。」トルコにはこれは相応しくありません。トルコは正常化をしなければなりません。正常化の必然性があります。エルドアンは、トルコにおける分極化のすべての要素を一つずつ、可能な限り全ての分断の方法を一つ一つ用いました。そしてこれは使い尽くしました。これを使い果たしてしまうと、もはやトルコも果ててしまいました。
現在、トルコはとても深刻な形で正常化の必要性があります。分極化から逃れ出る必要性があります。政治思想、民族のアイデンティティ、政治信条が何であろうと、全ての人がそれらを手に入れながら、しかし共になってトルコを手に入れるパースペクティブと邂逅しなければなりません。これが可能となるためには、トルコは何よりもまず法律そして自由が必要です。そしてこれらが存在しないのです。これがないために、トルコが正常化することは不可能に見えるのです。トルコは再び2015年6月の選挙の前の時期を生きること、そしてそののちに2015年選挙ののちの混沌とした時期を再び起こさせない必要があります。このような状況を考えたときに、政権にはそのような意図はないのです。国を可能な限り、正常化から遠く、分極化をさらに確かなものへと歩みを進みさせようとしているのです。そしてまたこれに対して、3月19日に―もはや1年が過ぎましたーの反応をもたらす社会は、
イズミル、イズミルのそのヤシの木は、私が見た会合は私にこのようなことを考えさせました。そのために、再び申し上げます。私はトルコができる限り早く、正常な国に戻ることを願います。
さて、今日の献辞は…映画界の偉大な人物、エリア・カザンに捧げます。彼はイスタンブールで生まれましたが、非常に若い頃に移住しました。彼はもともとカイセリ出身のギリシャ人の家庭にイスタンブールで生まれましたが、若い頃にアメリカに行き、演劇と映画で活躍し、映画界で最も偉大な人物の一人となりました。ここでご覧になる映画はどれも傑作です。そう言いましょう。「欲望という名の電車」、「波止場」、「エデンの東」、「アメリカ、アメリカ」…これらの作品はどれも俳優のおかげで非常に価値のあるものとなっています。ジェームズ・ディーンやマーロン・ブランドなど多くの名優と仕事をした素晴らしい監督、エリア・カザンは、ある時期からトルコに頻繁に訪れるようになりました。彼は1960年代にトルコによく来ました。彼は家族の出身地であるカイセリに行きました。彼はそこを旅しました。彼は自分の村を見つけました。それから彼はイスタンブールに来ました。彼はイスタンブールの映画祭で審査員長を務め、トルコの映画にも出演したことがあると思います。どの映画だったかな?今はよく覚えていません。ああ、今確認しました。ズルフィ・リヴァネリ監督の「シス」(霧)で小さな役を演じていました。エリア・カザンは、映画を思い浮かべると頭に浮かぶ名前です。簡単に忘れられるような名前ではありませんし、もちろん、彼が我が国の一員であったことは、私にとって大きな誇りです。そう言わせてください。エリア・カザンは2003年に94歳で亡くなりました。彼は1909年、オスマン帝国時代にオスマン帝国で生まれました。その後、彼はアメリカ合衆国のニューヨークで亡くなりました。彼の映画の多くはニューヨークを描いています。ある意味で、エリア・カザンは私たちの国民の一人と言えるでしょう。エリア・カザンに敬意を表します。以上です。それでは、ごきげんよう
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翻訳者:堀谷加佳留
記事ID:61940