トルコ:地中海を介して生まれたトルコとアルジェリアの深い関係

2026年05月13日付 al-Quds al-Arabi 紙

■アルジェリアとトルコの共通の記憶

【n.p.:トゥーラーン・キシュラークジー、本紙】

地中海の「単なる水域」の側面だけを切り抜くと、地中海の真の価値の多くを損なうことになる。地中海は元来、人類の記憶を共有する海である。何世紀にもわたり、その沿岸に移り住んでいた多くの民族の痕跡を受け継いできた。船は港から港へと、物資だけでなく言語や宗教、思想、習慣、そして異なる文明の精神をも運んできた。

この長い歴史の旅路において最も古く重要な寄港地であるトルコとアルジェリアは、お互いのつながりの深さを雄弁に語る証人である。両国関係は、現代の外交関係にとどまらず、ローマ帝国末期からオスマン帝国時代を経て、現在の政治・文化的関係に至るまで、長い歴史的遺産に基づいている。だからこそ、アンカラとアルジェリアの関係強化に向けた動きは、何世紀にもわたって受け継がれてきた友好関係の復活のように感じられる。

物語の始まりは、東ローマ帝国皇帝コンスタンティヌス一世の治世に遡る。彼は、東ローマ帝国を代表する指導者の一人である。東ローマ帝国は、近代西洋史学では「ビザンツ帝国」の呼称が用いられている。コンスタンティヌス一世は、自らの名を冠した二つの大都市を築いた。一つは北アフリカのコンスタンティーヌ、現在でもアルジェリアを代表する重要都市である。もう一つはアナトリアのイスタンブール、何世紀にもわたって「コンスタンティノープル」の名で知られていた。

アルジェリア北東部に位置するコンスタンティーヌは、決してありふれた都市ではない。深い渓谷に架かるいくつもの吊り橋や、険しい岩山の中にそびえ立つ風景は、見る者にまるで石を彫り出した壮大な叙事詩の前にいるかのような感動を与える。そのため、「橋の街」「鷲の街」「岩の街」と言われるのも不思議ではない。

(後略)


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翻訳者:永井千尋
記事ID:62102