■ユーフラテス川が増水したとき、国家が現れ、ダイル・ザウルは物語の中心に戻った
洪水対応が示した国家の存在、長年周縁化された東部県に再建の視線
【ダマスカス:本紙】
農村の人々は、川は人間に似ていると言う。長いあいだ静かにしていても、ある日怒り出し、自らの力をすべての人に思い知らせるからである。ジャズィーラの人々が麦の穂の父、麦と大麦の友として知ってきたユーフラテス川も、ある季節には突然声を上げ、人々が何十年もなおざりにしてきた橋、ダム、インフラ、先送りされた事業の存在を思い出させることがある。
しかし今回、ユーフラテス川が試したのは、水を食い止める土塁の力だけではなかった。周縁化、戦争、放置によって大きな代償を払ってきた地域で、シリアの新たな国家が初めて直面した大きな全国的試練に対応できるかどうかも問われたのである。
水位が上がり、土の橋が浸食され始めたとき、ダイル・ザウルで問われたのは、川がどれほど増水したかではなかった。国家は来るのか、ということだった。
60年以上にわたり、ダイル・ザウルは旧体制とSDFにとって、小麦、石油、富の貯蔵庫であり続けた。しかし同県が本来受けるべき政治的・国民的地位を与えられることはほとんどなかった。土地は恵みを与え、人々は耐え、ユーフラテス川は潤し続けたが、真の開発は存在しないか、亀の歩みのように遅かった。
このため、アフマド・シャルア大統領のダイル・ザウル訪問は、洪水の影響をフォローするという範囲を超える意味を持った。そこに込められたメッセージは明確だった。ダイル・ザウルはシリアの地図の周縁ではなく、鼓動する心臓の一つである。ユーフラテス川に起こることは、同地域の住民だけに関わる地方問題ではなく、国家全体の動員を必要とする国民的災害である。そして、より重要なメッセージは、ダイル・ザウルの再建は誰かの施しではなく、最も困難な瞬間に立ち上がり、その名をすべてのシリア人の記憶の一部とするほどの犠牲を払った県に対する債務であり、忠義であるということだった。
部族の慣習では、ある人々の前で男がビシュトや上着を脱ぐとき、それは最大限の敬意、謝罪、そして事態の重みを認める行為を意味する。この点から、多くの人々はシャルア大統領の訪問を、政治を単なる案件処理ではなく、倫理でもあるとみなすシリア固有の文化の延長として読み取った。
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翻訳者:国際メディア情報センター
記事ID:62183