あの発言で、クルチダルオールの政治生命は終わりだ!

2026年06月23日付 Cumhuriyet 紙
政治の世界では政治家をハイレベルの地位に押し上げるような発言もある。一方で、その人の政治生命を消してしまう発言もある。

先週金曜日のソズジュ(Sözcü)テレビでの2時間半にも及ぶクルチダルオール氏のインタビューはまさにこういう性質のものであった。この発言から4日間過ぎたもののコメントや議論が続いている。特にSNSにおける反響は雪崩のように拡大している。この発言から充分な時間が経過したので、感情的ではなく客観的な評価をすることができる。

特にソズジュ・テレビがこのセンシティブな問題で番組を制作し、ジャーナリストのセネム・トルアイ・ウルガズ、アスル・クルトゥルシュ・ムトゥル、バルシュ・テルコールらが世論に関心を抱かせる論点が明らかになるよう勇敢な質疑をしたのは重要である。また報道の自由という点から称賛する必要がある。

クルチダルオールのこの発言で明白になった真実と矛盾は以下のようにまとめられる。

1.クルチダルオール氏は、「[共和人民党の党大会の]無効に関する裁判の過程で自分を訪れた3人に対し、党に管財人が任命されるのは受け入れないが、絶対的無効があれば受け入れよう。」と述べており、無効判決について情報を有しこの問題で交渉を行っていたことを、議論の余地を残さない形で認めた。

共和人民党で13年党首を務めた当人物がこの問題で交渉についたのは倫理的ではなく残念ながら実に悲しいことである。

2.クルチダルオール氏は、「オズギュル・オゼル氏に4人の市長に役職を与えないように指示した。」と述べている。自分が在任していた時期に疑惑があると信じていたこれらの人をどうして役職から解任しなかったのだろうか。何故検察庁に申し立てを行わなかったのか。党の浄化を望む人物はこのように自己矛盾に陥らないのでは。

3.クルチダルオール氏は市長に関する訴訟について「無罪推定」を受け入れないと明言した。法の原則、普遍的決まり事である「無罪推定」を軽視し、自らが依り所とする「道徳的優位性」の考えを持ち出して被拘禁者をすでに有罪とみなしている。

共和人民党のように、ルーツに法治国家を据え、多党制民主主義のシステムをこの国に導入した党の党首を務め、今でもその党を浄化すると主張する政治家にこの姿勢はふさわしくない。クルチダルオール氏は法的規範の点で自らを傷付けてしまった。

4.クルチダルオール氏は彼が非難した市長らに関する起訴状及び自らに「管財人的な権限」を与える「絶対無効」の判決文も読んでいないと述べ、大きな矛盾に陥っている。

告訴状も読まず市長らを被告席に座らせてもいる。また絶対無効の判決文も読まずに、この判決に依拠して共和人民党の選挙によって選ばれた委員会を解散している。国会議員を懲戒委員会にかけ、党会派副代表達を解任している。共和人民党本部や選挙で選ばれた県支部には警察権力を用いて立ち入りが行われている。

5.クルチダルオール氏は引き受けた職務[の印象]を和らげるために「管財人が郡長官や県知事なら良かったのか」と問いかけ、自らが引き受けた職務と「絶対的無効」の判決を正当化しようとしている。

初めて公正発展党の得票数を上回った共和人民党が分裂するよう仕組まれた計画の一手段である絶対的無効の判決が政治的な決定であることも認めている。県支部を解散し、国会議員を懲戒委員会にかけ、党内のあらゆる決議を下している。しかし、ことが党大会の決議に及ぶと「処分命令がある」とのスローガンを盾に身を隠す。彼は完全な矛盾の中にあることを自らの発言によって示している。

6.政治的決定である絶対的無効の判決は、本質的には共和人民党の38回党大会を無効とみなしている。しかし、この党大会の代議員らはクルチダルオール氏の党首時代に地区から始まり郡大会、そこから県大会を経て選挙管理委員会の管理下で選ばれた人たちである。クルチダルオール氏は、自らの管理下で選ばれた代議員の全てを無効とすることを認めている。これはかなりの無理筋、かなりの怨念であり、大きな矛盾である...。

7.セラハッティン・デミルタシュ氏が10年間刑務所で拘束されたままでいる理由となった「議員特権の剥奪」の決議には後悔していないと述べる中、彼はおそらくどれほど重大で明白な矛盾に陥っているかに気づいてさえいない。人民平等民主党のサクク国会議員はこれに対し、「しかし我々はあなたに与えた支援に後悔している。」と述べた。

8.クルチダルオール氏は、政権与党がオズギュル・オゼル氏の議員特権の剥奪に動き始めていることに、「私なら自ら議員特権の剝奪を望むだろう。」と述べ国会で行われる採決を支持しており、この問題では政権与党と同じ方向で投票されると述べている。

クルチダルオール氏は、2時間半にも及ぶインタビューの中で窮すると質問に対し質問で答えようとした。しかし彼がうんざりし、狼狽えていたことも明白となった。「私をなぜ共和人民党の党首と呼ばないのですか。」と言わざるを得なかった。実際のところ、ジャーナリストたちはクルチダルオール氏を庇っていた。少し考えてみよう、ジャーナリストたちはクルチダルオール氏に「裁判所によって任命された共和人民党党首」と呼んでいたら、その方が良かったのだろうか。

このインタビューについては、コメントや明らかになった矛盾をさらに論うことができる。政治学者のバーク・エセン教授は、イスメット・イノニュが、クルチダルオール氏のこの発言を聞いていたなら、彼に「犯罪者が焦ってるみたいですね。」との言葉を述べていただろうと明かした。

ここで、この記事の冒頭の一文を思い出してみよう。

政治家の人生には政治家をハイレベルの地位に押し上げるような発言もある。一方で、その人の政治生命の汚点として歴史に残り彼らの政治生命を終わらせてしまう発言もある。

クルチダルオール氏は2時間半のテレビ・インタビューの中で、根本的には政権与党が構想する主張に歩調を合わせていることを示した。政権与党が共和人民党の分裂計画の実行者であることを認めるような立場に立った。

クルチダルオール氏はこの発言の中で見せた論理構築や矛盾によって自らの政治生命を終わりに導いていることを明確に示した。


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翻訳者:宮本 丞
記事ID:62332