軍政時代に作成された2008年憲法59条(f)にはドー・アウンサンスーチーが大統領になる権利が得られない要件が含まれているが、これを改正するための闘いが始まったかどうかの時期、疑問が出てきた。2015年の選挙まで、このように(訳者注:大統領になる権利の)制限が継続されたままならば、国民から最も多くの支持を得ているといえる国民民主連盟(NLD)としては誰を大統領候補者リストに入れるのか。
憲法によれば、民族代表院の(訳者注:議員)グループと国民代表院の(訳者注:議員)グループ、およびこの両院から国軍最高司令官が名前を挙げた軍人議員グループが一緒に組織した大統領選出委員会が大統領を選出する。
その委員会は大統領選出のために、議員たちの中から、あるいは議員以外から大統領候補者を挙げることができる。
2015年の選挙で勝つであろうと予測されているNLDとしては、ドー・アウンサンスーチーが大統領となる権利を制限されている中、誰を大統領候補選出するのだろうかという疑問が浮かんできた。
NLDにとってそのことは問題ではないとウー・ハンターミン党中央執行委員が述べた。
「ドー・アウンサンスーチーが大統領になれなくてもNLDにとっては大きな問題ではない。大統領は議員である必要はない。NLDの党員である必要はない。我々と同じ考えを持つ人を支持する」と同氏は述べた。
党員の大統領候補
国民民主連盟(NLD)は1988年9月27日に新聞記者のハンターワディ・ウー・ウィンティン、元国軍上級幹部のウー・アウンジー、元国軍司令官のウー・ティンウーとドー・アウンサンスーチーが結成した。
当時NLDには、政治、法律、文学分野における指導的立場の著名人が数多く加わっていた。党設立時には、ウー・アウンジーが議長、ウー・ティンウーが副議長を務め、書記長としての責務はドー・アウンサンスーチーが担った。
しかし、選挙運動を行なった時、ウー・アウンジー議長が、党内に共産主義者がいるとして党の設立に加わったハンターワディ・ウー・ウィンティンらの脱退を要請したため、NLDは分裂の問題に遭遇せざるを得なかった。その後ウー・アウンジーが脱退し1988年12月初頭に党を組織し直した。その際にウー・ティンウーが議長に就任した。
国民会議で起草した憲法によって実施された2010年の選挙について、NLDは抗議し政党登録申請をしなかったため、解党させられた。
2010年11月にドー・アウンサンスーチーが自宅軟禁から再び解放され、2011年にドー・アウンサンスーチーとウー・テインセイン大統領が歴史的な面会を行った後、NLDはウー・テインセインと交渉を行い再び政党登録された。
NLDは2012年に行われた補欠選挙で、憲法改正、連邦制導入、国民の協調など3つの政策を掲げ選挙に挑み、44の選挙区のうち43の選挙区で勝利した。
その後2013年10月にNLDの初めての党大会が開かれ、ドー・アウンサンスーチーが議長に選出され、中央執行委員会についても新規に組織し直した。
現在、党組織としては、ドー・アウンサンスーチーが議長を務め、同氏を含めた執行委員15人と予備委員会の4人を含めて中央執行委員会を組織し、副議長および書記長を置かない態勢で動いている。
2013年に党が発表した中央執行委員リストには、ドー・アウンサンスーチー議長の次に、軍政時代から法律に関して主に担当していたウー・ニャンウィンが法律関係委員会委員長兼党広報担当、その次にウー・ハンターミンが経済顧問委員兼党広報担当、ウー・オウンチャインが中央情報委員会委員長、ウー・ウィンミィンが憲法改正委員兼党広報担当、ウー・トゥントゥンヘインが憲法改正委員、その後に、ドクター・メーウィンミィン、ウー・ウィンテイン、ドクター・ゾーミィンマウンなどが順番にリストに載っている。
しかし副議長や書記長などの役職が含まれなかったため、ドー・アウンサンスーチーの次に党で最も責任のある人は誰かということを示すのは難しい。
そのため、大統領候補者として選ぶとすれば、ドー・アウンサンスーチーでない場合、党員の誰なのかと言うのも難しい。
確かなことは、党内でドー・アウンサンスーチーの後継者をまだ選出できていないということだ。
当面のところは憲法59条(f)の改正を引き続き主張し、必要ならば党大会でそうした指導者を選ぶことができる、と党後援者の一人であるトゥラ・ウー・ティンウーが述べた。
「今は、NLDとして土台がしっかりするように行っている。党大会をもう一度開いて選出しなければならない」と同氏が説明した。
しかし、ドー・アウンサンスーチーを大統領候補に挙げることが難しいならば、別の候補者を選ぶのも難しい、と認めた。
「このような指導者の役割を担う人は稀である。素質もなければならず、人のために自分を犠牲にして働けるような人でもなければならない。彼女がいなければ、代わりに働ける人はほとんどいない」と89歳になるトゥラ・ウー・ティンウーが述べた。
党員以外の大統領候補
ウー・ハンターミンによれば、ドー・アウンサンスーチーが大統領候補者になる権利を閉ざされているとすれば、大統領候補者は党員以外でも可能であるとのことで、3つの可能な条件を尋ねてみた。
第一の可能性は、NLDと連帯し協力して行っている統一民族同盟のメンバーかどうか。
統一民族同盟(UNA)には、ウー・エーターアウン率いるヤカイン民族民主連盟(現在ヤカイン民族党)やナイグェテイン率いるモン民族民主連盟、ウー・クントゥンウー率いるシャン民族民主連盟、ウー・プーチンシンタンが率いるゾーミ民族会議などの政党が参加している。
しかし、この同盟から選べるということをこの時点で言うのはまだ早すぎである。
「憲法59条(f)を改正するかしないかはっきりしないうちに、そのようなこと(訳者注:誰を大統領候補にするか)を言うことはできない。NLDでさえ公表していないことを私たちが先に言う権利はない」とウー・エーターアウンが述べた。
第二の可能性は、憲法第436条の改正を求める運動をNLDと協力して行なってきた88世代平和オープンソサエティのメンバーかどうか。
多くの人たちが推測しているのは、政治分野での変化の空気を語っている88世代組織の指導者ウー・コーコージーのような人のことである。
しかし、88世代の組織内で大統領の要件に相応しい能力と行動力を持っている人に遭遇することはなく、ウー・コーコージーも、大統領候補にすぐなれるほどではない、と同組織のウー・ミャエーが述べた。
「何故なら大統領になるには十分な能力が必要である。議会内のことも知らなければならない。また何をするのにも時間がかかる。ある一定の時間を経験して初めてわかるものだ。このように政治に関して成熟してくれば、誰かを候補者にすることができるようになるかもしれない」と同氏は分析した。
最近出てきた情報によれば、この2つの組織以外の人でも大統領候補となる可能性がある、と推測されているようだ。
2015年の選挙でNLDが勝利してもドー・アウンサンスーチーを大統領候補に推すことができないとすれば、NLDは元軍人であるトゥラ・ウー・シュエマンを大統領として支持するかもしれないという情報をイギリスに拠点を置くロイター通信社が9月14日に発表し、より一層興味深い様相を呈している。この情報が流れた日は、ドー・アウンサンスーチーが議会に出席している途中で急に退席していき、党中央執行委員会ではそのような決定事項が存在しないことを後に述べた。
しかし国民代表院議長兼連邦連帯開発党党首のトゥラ・ウー・シュエマンとドー・アウンサンスーチーは親しく良好な関係にあると言われており、このような可能性も無視できない状況である。
NLDの責任者はこの情報を後に否定したが、現在の状況から、ドー・アウンサンスーチーが大統領になることを引き続き制限されていれば、別の人を選出するのは難しいことを、先の組織の指導者らが重ねて述べた。
NLDは闘う孔雀(訳者注:NLDのシンボルマーク)ではなくアングリーバードだと批判していた連邦連帯開発党中央執行委員であり国民代表院議員であるウー・フラスェは、トゥラ・ウー・シュエマンをNLDが大統領に推すならば歓迎すると述べた。
「NLDはドー・アウンサンスーチー以外を大統領に選ばないのではなく、有望な人材がいないのである。大統領になるということは、素質を含め長期にわたって人材を養成していかねばならないのだ。なぜならば、一つの国の国政に責任を持つのは5年間のみであるからだ」と同氏が続けて述べた。
ミャンマーにおいて国民の願いと信頼からの支持を最も多く集め、いつの日か与党になる可能性を持ったNLDには、絶対的指導者ドー・アウンサンスーチーに次ぐ人材がいないことを、国内のみならず海外の外交官や学者らも初期のころから指摘してきた。
「ドー・アウンサンスーチー以外の誰か、あるいは彼女の後継者を考えておくようなことはこれまでにしていない」と2000年から2003年まで在ミャンマー・オーストラリア大使として勤務していたトレバー・ウィルソンは、オーストラリアに本拠をおくSBS放送局に語っていた。
しかし別の見方もある。
NLDにおいて活動したことがあり、2010年の選挙前にNLDから分離して設立した国民民主勢力(NDF)の指導者ウー・キンマウンスェは以下のような別の見方を述べた。
「ドー・アウンサンスーチーの代わりの人材がいないというのはNLDにとって転機となり得る。彼女ほど力がなくても優秀な人が現れる可能性があるということだ」
彼と同じような意見を述べたのは、ドー・アウンサンスーチーと長期にわたってともに活動してきたヤカインの政党指導者ウー・エーターアウンである。
「NLDとしては、自分たちの指導者を自分たち自身が選出したのだ。だから、その指導者がいなければ、自分たちが引き続き何をすべきかということもすでに考え出してあるはずだ」と同氏は述べた。
国民的指導者アウンサン将軍の政治的血統を一人で受け継ぎ、一時代に一人現れるかどうかというほどの人物でもあるドー・アウンサンスーチーに頼りすぎ、彼女にすぐにでも代われるような新たな指導者がいないことに対し、国内外の多くの研究者らから心配する声が上がっている。憲法59条(f)を改正できる見込みが少ないときに、心配の声はより大きくなってきている。選挙が近づけば近づくほど声を上げる人がもっと多くなるだろう。
「状況としては、度が過ぎている。1つの党が1人に頼りきっていることはとても危険である」とウー・キンマウンスェも指摘している。
この状態で憲法59条(f)改正のための闘争を継続するのか。手を引いて後継者を探すのか。政党指導者たちは、ドー・アウンサンスーチーの後に地位を受け継ぐ者がいない、と今までずっと言い続けている。サッカーで例えると、有名で優秀な選手が諸事情で試合に出られないのにすぐ交代できる優秀な控え選手がいないということである
マグェ管区域イェナンジャウン郡のNLD一般党員ウー・タヨウッジーらにとって選択の余地はほとんどない。
「ドー・スー(訳者注:ドー・アウンサンスーチーの愛称)が何をしたとしても支持するしかない」と同氏は述べた。
( 翻訳者:高山秀俊 )
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