ベトナム戦争に反対したベ平連の50年
2015年04月27日付 VietnamPlus 紙

 4月26日、べ平連すなわち「ベトナムに平和を!市民連合」の設立50周年記念式が首都東京の芝公園にて開催された。
 記念式は、各世代の人々が一時期の日本の青年・学生によるアメリカ帝国主義のベトナム侵略への反対運動についての輝かしい歴史の一ページを回顧する機会となった。
 べ平連は、アメリカが北ベトナムに大規模な爆撃を開始した2か月後の1965年4月24日から活動を開始した。べ平連は誕生したばかりにも関わらず、多数の人々による広範な参加や、作家の小田実、哲学者の鶴見俊輔そして作家の開高健といった当時日本で大きな影響力を持っていた共同創立者の参加のおかげで、活動開始当初から大きな反響を呼ぶことができた。
 べ平連はさまざまな反戦運動を行ない、ベトナムにおける非正義な戦争に反対することを途切れることなくめざした。1969年6月15日、べ平連は7万人以上が参加した最大規模の反戦デモを東京で組織した。この運動は発展し、日本各地の350のグループ活動に拡大した。べ平連の活動や組織の方式は後の市民運動に多大の影響を与え、当時の被抑圧国の民族独立のために行なわれた闘争運動の一つのモデルとなった。
 佐伯昌平さんは、彼にとって最大の思い出は、反戦アメリカ兵と一緒に東京赤坂の軍医病院に行き、そこで治療中のアメリカ傷病兵に対し戦争反対を宣伝し、アメリカ兵に軍隊から離れるよう呼びかけたことだと力説した。多数のアメリカ兵は呼びかけに応じ、反戦運動を支持した。この時、40~50名ものアメリカ兵が病院を離れ、およそ1か月後にその病院は閉鎖した。
 公園の小さな一角で、今回の記念式に参加した人々は50年前のスローガン「アメリカはベトナムから出ていけ!」、「ベトナムはベトナム人のものだ」、「日本政府はアメリカと手を結ぶな!」を叫んだ。半世紀が過ぎたが、国際的理想に夢中になった日本の若者たちの意気盛んな雰囲気は、いつになっても衰えることはなかった。
 ベ平連に直接は参加しなかったものの、近藤節夫さんはやはりこの反戦運動に特別な感情を抱いていた。近藤さんによると、ベ平連のメンバーはたとえ活動のための予算がなくても思ったことはすべて実行し、ベ平連が実際に行なったことはきわめて憧れに値するものだった。
 ベ平連の運動がもたらしたものは、アメリカ帝国主義のベトナムへの侵略行為に反対する世論の戦いの中で一定の発言力をもち、ベトナム人民の国土解放の事業に重要な貢献をなしたことである。
 ベ平連についての50年の記憶は、日本における左翼運動の輝かしい一時期を印すものであるだけでなく、ベトナムと日本という二国の人民間の国際主義・博愛精神と友情の現れでもある。

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( 翻訳者:石前亜希、佐山愛、李品萱 )
( 記事ID:1408 )