光中帝の陵墓の痕跡を探る考古学的調査
2016年10月06日付 VietnamPlus 紙
10月6日午後、ベトナム中部トゥアティエン・フエ省において光中(クアンチュン)帝の陵墓の痕跡を探るための最初の発掘作業が開始された。
予備調査が行われるのは、フエ市チュンアン街区ズオンスアン丘の22㎡の区域内で、5つのトレンチで発掘作業が開始された。
この発掘調査はベトナム考古学院とトゥアティエン・フエ省歴史博物館により行われている。
ベトナム考古学院の副院長を務めるブイ・ヴァン・リエン博士(准教授)によれば、光中帝の陵墓の痕跡を探る考古学的調査は文化スポーツ観光省の決定によるものであり、調査の過程においてはトゥアティエン・フエ省歴史博物館が収集した歴史的遺物を管理し、破損や紛失を防ぎ、またスポーツ文化観光省に発掘された歴史的遺物の価値を発揮する方策について報告し、正式な結論については主幹機関と文化遺産局と討議が行われていないのでまだ公開できないとのことである。
フエ文化の研究者であるグエン・ダック・スアン氏はこの考古学的調査によっていくつかの理にかなった根拠が追加され、多くの謎が残っていた歴史の流れが明らかになるだろうとしている。
これまでにも、1985年からグエン・ダック・スアン氏は光中帝の陵墓はズオンスアン丘(ティエンラム寺とヴァンフック寺の近く)周辺にあったと推定してきた。この地点はかつて光中帝が宮殿を造営し崩御の後にその亡骸が埋められた地点だとグエン・ダン・スアン氏は同定している。
戊辰の年(1788年)の11月25日にグエン・フエ(阮恵)はフエ、昔の富春(フースアン)にて皇帝に即位し、光中帝と号した。その後の素早い軍事行動で20万にも及ぶ中国清朝の侵略軍を打ち破り己酉の年(1789年)に昇竜(タンロン、現在のハノイ)を解放した。
現在、光中帝の埋葬について明確に示す史料がまだ見つかっていない上、阮(グエン)朝によって陵墓は破壊されてしまったと推定されているため、光中帝の陵墓を特定する作業は非常に複雑である。それ故に光中帝の陵墓の痕跡を探る今回の考古学的調査は、我が国の歴史や文化の研究上非常に必要なことである。
訳注:光中(クアンチュン)帝/グエン・フエ(阮恵)(1753年~1792年)
(後)黎(レー)朝末期に兄弟と共に西山(タイソン)党の乱を主導した人物。西山朝を興し、皇帝に即位して光中帝と号した。戦上手であり、黎朝の残党やシャム王国、清朝などの敵対勢力と戦い、これらを打ち破った。また内政面でも多くの功績を残した。しかしながら在位4年、わずか39歳の若さで病死してしまった。
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( 翻訳者:一橋弘人 )
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