政治および保健分野において著名なアウンキンスィン医師が逝去(Vol.6/No.151. 10月4日2-1)
2018年10月04日付 The Voice 紙

 ヤンゴン 10月3日

 政治活動と共に保健の分野においても公衆衛生学で著名であり、1990年の選挙に当選した国会議員のアウンキンスィン医師が10月2日午後8時半にヤンゴン市ピンロン病院で亡くなった。
 1990年の選挙でヤンゴン市ミンガラータウンニュン区第1選挙区から国民民主連盟(NLD)議員として立候補し当選したアウンキンスィン医師は、医学分野に関する放送用の原稿の他に男女関係の啓発についての本を書いたために、保健及び政界において有名であった。
 「先生はとても真面目だ。政治活動の他に保健活動として予防医学という手法を用いた。病気になってから治すことよりも病気になる前から予防する方法を用いた。これは国家にとって大変貴重な学問分野の一つである。NLDとしては先生のことをいつも思い出している」とNLDの報道担当官のミョーニュン博士が言った。
 アウンキンスィン医師が亡くなったのは86歳で、パコック生まれだった。
 1963年にヤンゴン医科大学で医学の学位を得てから、イギリスにおいて地域医療の博士号と、王立公衆衛生学の学位(訳者注:王立公衆衛生協会の会員資格のことか)も得て、1972年に予防治療医学の本で国民文学賞を受賞した医者であり作家でもあった。
 1988年の民主化運動の際に発砲事件があったため、負傷者の看病や治療をし、医療従事者公務員連盟のリーダーとして責任を果たしたので、軍事政権時代に公務員を退職させられた(訳者注:軍政時代には反政府的な活動をする公務員をやめさせることがあった)。
 アウンキンスィン医師は博識な人であるが、一般庶民のような生活を普段からしていて、威張ることのない人として有名で、政治と公衆衛生学において多くの人から尊敬されている人でもあった。
 「政治において多くの人と協力し、活動してきた他、1つのことに熱心に取り組んだ人として先生を見てきた。先生を失ってしまったことは公衆衛生学分野にとっても政界にとっても損失が大きい」と国民民主勢力のウー・キンマウンスエが述べた。
 アウンキンスィン医師は1993年に開催された国民会議にNLDの議員として出席しており、国民会議を嘘に溢れた会議として批判した後に逮捕されてインセイン刑務所に20年間投獄されていた。
 アウンキンスィン医師は、非常事態法第5条(j)の他、タイで発行されたキッピャイン新聞(訳者注:当時、民主化勢力が発行していた新聞)を手元に持っていた罪、非合法結社法第17条(1-2)等に対する起訴により収監され、7年後に再び釈放された。
 アウンキンスィン医師は学生連盟の建物の再建許可を得るべく、市庁舎の前でのデモを政府に拒まれたので2014年12月にタームエ国民広場で学生運動に対する活動家として協力し、デモを起こした。
 アウンキンスィン医師の葬儀は10月4日木曜日夕方4時からで、イェーウェー墓地で火葬予定である。

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( 翻訳者:竹淵優衣 )
( 記事ID:4529 )