オケオ文化―南部地方の古代文化の痕跡
2019年11月12日付 VietnamPlus 紙
オケオ文化の金細工の出土品はロンアン省博物館で保存されている。
オケオは巨大遺跡であり、メコンデルタ地方の古代文化の中心で、また発展において内的・外的要因が合わさったモデルでもある。
オケオはアンザン省トアイソン県ヴォンテ社にあり、バテ山東南の田園にある丘陵の名前であり、魅力溢れる考古文化の地としてベトナム考古学の歴史に足を踏み入れた。
オケオ文化は紀元1世紀から7世紀にかけて、形成・発展した。
オケオ文化はベトナムの歴史における大きな文化の1つであり、メコン河下流の土地、デルタの人々に身近で、同時に東南アジアの古代の歴史とも密接な関係をもっている。
この地域は、アンザン省(オケオ―バーテー)、キエンザン省(ダノイ―ネンチュア―タンロン)、ドンタップ省(ドンタップムオイ)、西南海岸(ウミン―ナムカン)から沿海のサック森林(カンゾー-ゾンアム)まで、さらには南シナ海(ティエン河口からカーマウまでの地域)にまで伸びる多様な生態系を含むハウ川西の湿地帯におけるメコンデルタの広範に分布している。
他にも、考古学会はビンズオン省、ビンフック省、タイニン省、ドンナイ省、またロンアン省やビントゥアン省、ホーチミン市の一部で、オケオ文化に属する多くの遺跡や遺物を発見している。
20世紀初頭に入ってすぐに、オケオ文化の最初の遺物がアンザン省トアイソン県ヴォンテ社のバテ山―オケオの田園で発見された。
美術品の形の豊かさ、独特な素材、きらめくような美しさによって、すぐにオケオ文化の遺物は、G.セデスやL.マルレ、H.パルマンティエといったフランスの著名な学者の関心を集めた。
しかし、この文化の研究は、1944年から数年間のオケオ遺跡におけるマルレの発掘によって始められたにすぎなかった。マルレは自身が発見した結果と研究を『メコンデルタの考古学』という表題で、1959年から1964年の間に次々と出版した。
この事業は1975年に至るまで、オケオ文化についての主要な考古学の成果だと評価されている。
ルイ・マルレは1944年の発掘に基づき、オケオは古い都市で、都市オケオまたはオケオ港市と呼ばれ、450㏊もの面積をもち、オケオから西南に12㎞離れたターケオという港を持つと考えた。
この地域は、整然とした都市のイメージだけでなく大きな宗教―文化の中心としての痕跡も残しており、リンソントゥ地区、バテ山東北地区、ゾンカット、ゾンソアイ地区の3つの遺跡群がある。
発掘調査では、オケオ文化の遺跡で、銅や石で作られた大小の彫像、指輪、耳飾り、宝石、瑪瑙、クリスタル、印鑑、護符、銅や石でできた道具、また赤土でできた紡錘車、七輪、灯芯皿、器、鍋、瓶といったものが発見された。
オケオの出土品はこの文化の豊かさと多様性、またこの地域内さらには他の地域との文化の交わりや受容を表している。
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( 翻訳者:山本美帆 )
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