なぜドラえもんは50年後も読者を魅了しつづけるのか
2020年06月10日付 VietnamPlus 紙
横浜でドラえもんのキャラクター人形の前にいる女の子(共同通信社)
50年前に生まれ、ドラえもんは永続的で強い活力があることを証明し続けており、一般的な漫画を超え、教育的価値があり子どもに親しい内容のおかげで文化の象徴となった。
半世紀前、青いネコ型ロボットの漫画が生まれ、日本の大衆文化に深く印象付けた。ドラえもんである。
ドラえもんは漫画だけでなく、アニメシリーズ、電子ゲーム、おもちゃやファッションのような他の大量の商品までをも通してアジア中の多くの世代にとって愛くるしく面白いキャラクターであった。
批評家らは、作家の(故)藤子・F・不二雄(本名は藤本弘で、初期段階は我孫子素雄との共同制作だった)の漫画は好奇心に溢れ、想像力に満ちた新しい世界を開き、漫画の背景は1970年代であったのに関わらず、未来のいくつかの発明の正しい予見までもしたとの見方を示す。
無数の宝物がドラえもんの胸についている底なしポケットの中に隠されており、今では一般的なアイテムがたくさんあるが、半世紀前は偉大な発見である。例えばテレビ電話、3Dプリンタ、声をテキストに変換させるマイク、自動運転車、または各ロボット世代…。
様々な形態に形を変化させているが、ドラえもんの原作漫画は何よりも人気がある。漫画を通しているため、ネコ型ロボットと小さな友達グループの心中、気持ち、世界が一番はっきりと現れている。
全ての漫画の始まりのエピソードでは、ドラえもんは、頭が体より小さい見た目で現れ、やや…笑うべきでない状況の中で笑いを生む「ブラックコメディ」の感じがあった。ここで面白いのは、哀れなほどに意気地がなく臆病な男の子ののび太とどら焼きが大好きなドラえもんの組み合わせでもある。たまに自分の友達の緊急事態で、とても冷淡で純真に事件を解決することが嘲るに値すると感じる感覚を作り出す。
ドラえもんの話は子供の話であるが、大人の人間の理解と経験を取り入れている。ドラえもんの漫画の中の子どもたちは普通の社会の中のように多様な性格の集まりである。ずる賢いスネ夫、荒々しくていじめっ子のジャイアン、一方でのび太からの愛には冷淡で非人情のしずかである。
日本で生活し働きに来た外国人の一部がこの漫画シリーズを読む、一番注目に値する大きな理由は、言語を学ぶためである。JLPT(日本語能力試験、一番基礎レベルがN5で一番高いのがN1である)の試験準備をする多くの人々は漫画で勉強するのが大好きである。必ずしも新しい言葉を覚える目的ではなく、リラックスした気分で1つの習慣として日本語を読んで理解するだけである。
イギリス人のジョーダン・アレン記者はちびまる子ちゃんなどのいくつかの有名な漫画を読んだが、かなり苦労したことを伝えた。結局、ドラえもんは作家によって使われる言葉が極めて明晰で日常的でわかりやすいため、最も合理的な代替案であった。
「どの漫画でも選べるが、私はドラえもんが一番多くの楽しみをもたらすシリーズだと思っている。日本大衆文化における有名なイメージと共に現代史の環境の中に自分が浸ることができるだけでなく、時代を経る中での言葉の変化を確かめることもできる」とジョーダン・アレン記者はジャパンタイムズ紙で言及している。
作家によると、漫画の人物は「すごい(とても素晴らしい)」、「やばい(がっかり、とてもひどい)」のような言葉や今日のユーチューバーが乱用する日本語の口癖を言わない。スネ夫の家族は上流階層の言葉を話し、のび太の家の各世代では昔の領主、サムライ、もしくは農民階層の古語をたいてい使う。
それ以外に、ドラえもんの他の大きな意義は、どの漫画のエピソードも多くの人々の幼少時代や遠い過去について懐かしい気持ちを幾分抱かせることであり、それは携帯電話やパソコンに「没頭」しない子ども時代のことであった。みんなで外に出て野球をしたり、自慢たり、おもちゃで競い合ったり、集まって大小の冒険の旅を経験たりしていた。
これがおそらく漫画が半世紀経っても、また今後それよりももっと長い間、常に好評を受けている主な理由でもあるのだ。
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( 翻訳者:向井千景 )
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