フエがベトナム・アオザイの都だと証明する2つの歴史的事件
2020年07月08日付 VietnamPlus 紙
伝統的アオザイの公演
武王グエン・フック・コアット(阮福濶:Nguyễn Phúc Khoát)がアオザイを誕生させ、ミンマン(明命:Minh Mạng)帝がそれを広く使用される衣服とした。この2つの歴史的事件はフエがベトナム・アオザイの都であると証明している。
7月8日の午後、フエ市において、トゥアティエン・フエ省の文化・スポーツ局は、「フエ-ベトナム・アオザイの都」という学術シンポジウムを主催した。
シンポジウムでは、各代表や研究者が、ベトナム・アオザイに対する武王グエン・フック・コアットの衣装改革について、また宮廷衣装や全国規模の民間衣装に関する各規定の制定における明命帝の貢献について、話し合い、討論した。
トゥアティエン・フエ省の文化・スポーツ局の局長であるファン・タイン・ハイ博士によると、武王グエン・フック・コアット(ダンチョン[広南国]での在位:1738-1765年)と明命帝(在位:1820-1841年)は、歴史上、ダンチョン地域と大南国全域で朝服刷新と衣装改革の方針を打ち出し実施したことにおいて多大な功績を持っている。
もし武王グエン・フック・コアットがアオザイを生み出した功績をもつとするならば、明命帝はアオザイを全国的に広く使用される衣装とした功績をもつ。
上記の2つの歴史的事件は、フエがアオザイを生み出した場所であるとともに、ベトナム・アオザイの都であることを証明している。
武王グエン・フック・コアットと明命帝時代の衣装改革の問題は、形式的なものだけに留まらず、文化的な統一・自主精神を反映している。そこからアオザイは社会の全ての階層の正装となり、文化的特色を色濃く帯び、正式にベトナム民族の国服となった。
トゥアティエン・フエ省の文化情報局の元局長であった研究者グエン・スアン・ホア氏は、世の有為転変の長い年月を経て、フエの地の揺籃から、ベトナム・アオザイは荘厳で且つ創造的な独創性をもつベトナム衣装の文化的特色の象徴となり、世界の多様な衣装文化の象徴と比べても類を見ないものである、とする。
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「ベトナムの村のディン(亭)クラブ」の会長である画家グエン・ドゥック・ビン氏は、フエのアオザイはこれまで全てフエの女性のイメージと堅く結びつけられてきており、男性のアオザイ(アオグータン)は印象が薄く、全ての人々の関心を得られるまでにはいたっていない、と考えている。
フエがベトナム・アオザイの都となる為、トゥアティエン・フエ省は、学者たちがアオザイ誕生の歴史、美学的価値、阮朝から今日までの歴史を通じてアオザイを着る儀礼・儀式に関して研究するための条件を整え、また良い職人を集め伝授事業に参加してもらう為に適切な待遇制度を設け、お祭りや役所においてアオザイを着ることを激励する。
トゥアティエン・フエ省の文化部門は、常にモダン・アオザイのデザイン・コンテストを開催し、伝統的なアオザイから発展させ、現代の生活に適する美しいアオザイを模索している。
各代表は、フエの文化・歴史の流れの中のアオザイの文化・芸術・信仰などに関する特徴的な価値を集中的に分析・評価し、フエがベトナム・アオザイの都であると構築し断定した。
同時に、現代の背景の中でアオザイの遺産的価値を保護し発揮するための以下の解決策を提案した。フエのアオザイのブランドを作り上げ、省の特色ある文化・観光サービス製品とする。また、文化的・歴史的痕跡に基づき、伝統的なアオザイの魂を失わないように、現代の生活においてアオザイを普及させる。
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( 翻訳者:佐々木愛佳 )
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