歴史的時期を経たハノイの呼称の意義
2020年10月10日付 VietnamPlus 紙
明かりがともったハノイの旧市街
西山朝が倒れた後、ザロン帝はフンティエン府(旧タンロン城のあった地)をホアイドゥック府に変え、かつ鎮と同等の直属単位、すなわちバックタイン(北城)総鎮を代表とする中央直属の鎮と見なした。
明命12年(1831年)になると、(11の鎮と1の直轄府を含む)北部のバックタインを廃止し、全国を29の省、このうち15の中央直轄省に分割する大きな行政改革を行った。
当時、ホアイドゥックが4つの府が1つとなってハノイ省となった。ハノイという固有名詞はその時から始まった。ハノイには河の内側という意味がある。実際、この新しい省はホン河、ニュエ河そしてダイ河の内にあった。ハノイには以下4つの府がある。
◆ホアイドック府:トスオン県、ヴィントゥアン県、トゥーリエム県(3つの県)
◆トゥオンティン府:トゥオンフック県、タインチ県、フースエン県
◆ウンホア府:ソンミン県(現ウンホア県)、ホアイアン県(現ウンホア県南部とミードック県の一部)、チュオンドック県(現チュオンミータインオアイ県)(4つの県)
◆リーニャン府:ナムサン県(現リーニャン県)、キムバン県、ズイティエン県、タインリエン県、ビンルック県(5つの県)
ハノイという名前は1831年から始まった。このころ、ハノイ省は、現在と比べるとハノイ市、ハタイ省の東部半分(フランス植民地期のハドン省)とハナム省の全域が含まれ、ホン河、ニュエ河そしてダイ河にくっきりと挟まれていた。
またそれ以来、ハノイの城は省の城とも見なされ、ハンボン通りからマンカー(城門の前に建てられた三角形の防御施設)を通って、現在はドゥオンタイン通りとなっている「クアドンコンティン(注:ハノイ省入り口の東門の意味)」通りと呼ばれていた城のクアドン(東門)に入る道であった。
ハノイという文字は孟子の本の箇所(梁恵王上)から取ったという人もいる。「河内兇、則移其民於河東、移其粟於河内」(ハノイは大災害に遭い、民はハドンへ移住し、穀物はハドンからハノイへ戻された、の意)。しかし、1904年にカウド省を一般的な名前に変更したいとの希望があった際、「命名会議」がそこで始めて孟子の本の箇所を引用して、カウド省からハドン省へと改名したのが事実である。
この記事の原文はこちら
( 翻訳者:浅田大輝 )
( 記事ID:5504 )