1979年北方国境防衛戦に関する写真集がお目見え
2020年12月15日付 VietnamPlus 紙
写真集出版日のムイさんとヒエンさん/戦後、二人は再会し、ヒエンさんはムイさんをお母さんと呼んだ
写真集出版日のムイさんとヒエンさん/戦後、二人は再会し、ヒエンさんはムイさんをお母さんと呼んだ

 1979年の北部国境防衛戦時の写真が、フォトジャーナリストのチャン・マイン・トゥオン氏の写真集で初めて公開される。

 フランス植民地主義とアメリカ帝国主義による2度の侵略戦争を経験した後、ベトナム人民は国土建設のため平和で安定した生活を望んだ。しかし、再び、1979年2月17日の夜明け、フォントー(ライチャウ省)からモンカイ(クアンニン省)までのベトナムと中国の国境で銃声が鳴り響いた。
 ジャーナリストのチャン・マイン・トゥオン氏は2月17日の朝、カオバンにいた唯一のフォトジャーナリストであり、彼は兵士と人民の勇敢さを刻んだ何百枚もの写真を記録していた。

 12月15日、写真集「1979年北方国境防衛戦を回顧する」がハノイで紹介され、この戦争の概況と真実に人々が目を向けるきっかけとなった。
 写真集は作家協会出版社によって出版が認可された。全120ページで、110枚の白黒写真が掲載されている。

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 写真家でジャーナリストのチャン・マイン・トゥオン氏は現在82歳だが、まだ元気で活発である。彼は1979年の出来事の詳細を語った。「2月17日の朝、敵の戦車の大群が町に侵入してきた。私は公安当局の二人に各地の戦線に連れて行ってもらった。ホアアンからカオバン市を通り、4号線道路からタックアン戦線に行き、そして、森を越え、川を渡り各県の自衛民兵や地元の主力部隊の各戦線まで進んだ。私は全部で8本のフィルムを撮ることができた」

 戦闘中、写真家のチャン・マイン・トゥオン氏は偶然、重傷を負った女性とその隣に座っていた3歳ほどの女の子に出会った。幸いなことに、ちょうどそこへ一台の車が到着し、一人の女性兵士が駆け寄り女の子を抱き上げ、彼女の仲間が母親を救出することができた。彼はカメラをかまえ、女の子を抱く女性兵士の写真を撮った。その直後に銃声が鳴り響き、皆それぞれ、散らばった。
 数年後、歴史の証人たちが集うイベントで、彼は昔出会った女性兵士と再会し、彼女の名前はブイ・ティ・ムイであり、その時の女の子の名前はホアン・ティ・ヒエンということを知った。ヒエンさんの母親は何年も前に他界していたが、ムイさんは子供がいなかった。その時から、ヒエンさんはムイさんを母親と思うようになった。これは、戦争における人の情けについての一つの美談である。

 この写真集について、ベトナム作家協会会長の詩人グエン・クアン・ティエウ氏は、作者が直接目にしたものを写した写真に感動の意を表した。
 ティエウ氏は、「ジャーナリストのチャン・マイン・トゥオン氏はこの戦争の証人の一人である。写真の中のベトナムの人民、ベトナムの兵士たちのまなざしや顔つきは、民族の主権のための不滅の意志をとてもはっきりと表している」と述べた。
 また、戦略研究所(公安省)の元所長レー・ヴァン・クオン氏は、ティエウ氏の意見に賛同し、この写真集は後世に伝える価値あるものであり、若い世代が平和と民族の独立の価値を理解することができるものだと述べた。

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( 翻訳者:坂入菫 )
( 記事ID:5733 )