軍が侵入したシュエボー市ナマサリ村で3人死亡、住宅400軒が火事に
2022年02月25日付 その他 - ミャンマーナウ 紙
火災で焼けたザガイン管区シュエボー軍ナマサリ村の2月25日の様子
住宅が約600軒あるナマサリ村への軍の4回目の侵入の際、住宅の70%近く、何万バスケットにも及ぶコメに被害が及んだことがわかった。
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ザガイン管区シュエボー郡ナマサリ村を、本日(2月25日)朝、軍が攻撃し、地元民3人が死亡、高齢者3人が行方不明となっており、村南部にある住宅400軒以上が火災で焼失したと地元民が述べた。
(シュエボー)市の西側、シュエボー・イエウー道路から1マイルの距離のところ(翻訳者注:下から6段落目に「シュエボー市から8マイル離れた距離」との説明があり、地図を確認するとこちらの8マイルという説明のほうが正しいと思われる)、約600軒の住宅があるその村に、軍とピューソーティー(翻訳者注:暴力団のような組織。記事番号5941参照)の50人以上の合同部隊が重火器、銃で射撃し、村に侵入してきたと26歳の男性住民が述べた。
「彼らは今朝6時ごろに銃撃を始めた。彼らが村の近くにいつごろ到着したのか私たちは気が付かなかった」と同氏が述べた。
ナマサリ村の村人たちは安全なところに避難したが、軍の銃撃によりマ・インサンエー(33歳)、ウー・テイン(55歳)が銃弾にあたって亡くなったことが、先の情報提供者からわかった。
さらに、ドー・キンタン(77歳)は住宅火災により死亡し、その他高齢者3人も行方不明となっていると述べた。
ナマサリ村への軍の侵入は4回目であり今回は最も状況が悪いこと、稲の収穫の季節であり、収穫し保管してあった何万バスケットものコメが火災で焼失したことを先の地元民が述べた。
「話すべき言葉も見つからないほどだ。彼らが欲しい武器などがあるから私たちに対して攻撃したというなら、私たちも耐えられる。今回のことは、彼らが来たことを私たちも受け止めることができない」と述べた。
「村人たちも避難した。それを、ところかまわず銃撃するというのは、かなり卑劣で野蛮なことだ。」
ナマサリ村の近くの、軍が部隊を配置しているティーロン、パンヤン、ミンスィーの各村にいるピューソーティーが、軍の侵入の際に一緒に入ってきたこと、4マイルほど離れたパウチャイン村から援助に来た若者12人すべてに対し、軍が道で銃撃したため亡くなったこと、詳細な情報がまだわからないことを、先の情報提供者が述べた。
軍評議会はズィーピューゴン村の僧院に軍を配置していることが、一部の地元民からわかった。
ナマサリ村の23歳の男性も、軍の放火により自宅が今も燃えていると本日夕方に述べた。
この男性はナマサリ村の中心道路沿いに暮らしており、高齢者や両親を連れて逃げなければならなかったことがわかった。
「私たちはみなすでに逃げたので、(軍は)村の南部から火をつけはじめ村の中央部にも火をつけた。そこから、私たちの家の近くに火をつけたのだ。捕まえたやつらは全員撃ち殺すと叫び罵っている声も聞こえた」と同氏が述べた。
レンガ造りの家1軒、コメ200バスケット、バイク1台、牛3頭、ポンプ2台、発電機1台が火災で焼失したと先の23歳の地元民が述べた。
この一連の出来事に関しそれぞれ確認がまだ取れていないのと同様、軍評議会にも問い合わせはできていない。
ナマサリ村はシュエボー市西側、シュエボー市から8マイル離れた距離のシュエボー・イエウー道路沿いにある。
軍が政権掌握した後、春の革命が始まった時から、クーデター反対の活動に積極的にかかわってきた村であることが、地元民からわかった。
今月の早い時期から、シュエボー郡西側にあるユワソー村、パウチャイン村、セイクン村に軍評議会の軍が重火器を利用しながら侵入してくることがみられ、何千人もの国民が家財を捨てて避難していることが地元の情報からわかった。
昨日(2月24日)午後早い時間に、シュエボー・チャウミャウン道路沿いにあるガピオー村に軍とピューソーティーの合同部隊が侵入し、住宅40軒以上が放火で焼失し、25歳の若者が亡くなった。
2021年2月1日、文民政府を崩壊させ軍が権力を握った後、反対のデモをすれば(軍は)銃撃しており、全国各地で(国民が)抵抗している。その中で、長期にわたって武装闘争とは縁のなかったザガイン管区内の地域が先頭に立って抵抗運動に参加している。
多くが手製の銃で抵抗しているこれら地域を、軍評議会は空路を含めて利用して攻撃をしているのと同時に、村落を放火で焼失させ、残酷に人を殺害する出来事もしばしは発生している。
コーチョー 2022年2月25日ミャンマーナウ
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( 翻訳者:ビルマ語メディア翻訳班(SA) )
( 記事ID:6280 )