国際社会から無視されるミャンマー国軍の戦争犯罪
2022年10月04日付 その他-ミャンマーナウ紙 紙


ミャンマー国軍の虐殺を国際社会が傍観しているなか、ミャンマー国民は自由や人間の尊厳のために、どのように行動しなければならないかを知っている。

トゥタゾー 2022年10月4日

国軍がクーデターで政権をとって一年半以上経ち、国民を毎日のように虐殺していることが珍しくない日常のことであるかのように、 国際社会が無視している様子をミャンマー国民は見てきた。

過去一年半以上の間、心を痛めるような軍による虐殺の光景や報道が減ることはなかった。果たして、ミャンマー国民はウクライナ国民程、国際社会の関心に値しないのだろうか。

軍の虐殺は非常に様々である。デモをする国民の頭を狙った射殺をはじめ、拘束し冷酷な種々の拷問を使い分けたり、後ろ手に括りあげて集団で殺害したり、生きたまま焼殺するなどし、最後には遺体を見世物にする目的で遺棄し、民衆を極度の恐怖で覆わせるようにこれらの暴力行為を遂行している。

最新の悲痛な事件はザガイン管区ディベーイン郡のレッイェッコウン村で9月16日に起きた。


レッイェッコウン村での戦争犯罪

まるでハリウッドの戦争映画を見ているようだった。攻撃用のヘリコプターが突然やってきて敵の軍事基地にミサイルや機関銃による連続射撃をおこない、同時に地上部隊が一瞬の内に完全破壊のための戦闘に加わってきた。

しかしそこは軍事基地ではなかった。仏教僧院の敷地内で開かれている学校であり、開校中の時間であったため、多くの子供達がそれぞれの教室で勉強をしている最中だった。

ミサイルの激しい爆発音、粉々に砕け散った子どもたちの体の一部、手足が切断された状態で血だまりの中で泣き叫び助けを求める子どもたちの声は、その短い間で血の気がひき激しく動揺する状態を引き起こした。

レッイェッコウン村での事件は、重大な戦争犯罪(War Crime) または「人道に対する罪」( Crimes against Humanity)に相当する国際法上の違反である可能性があり、ミャンマーに関する独立調査メカニズム(IIMM)はこの件に関して調査をすると、9月27日に声明を出した。


国軍による戦争犯罪および人道に対する罪

軍指導者が冷酷に戦争犯罪に及んでいる主な原因は、今日まで彼らが犯してきた罪に関して処罰の免除(Impunity)という特権を得ており、どんな国際的な法制度をもってしても、裁けないということだ。

国際刑事裁判所(International Criminal Court-ICC)は「人道に対する罪」を裁くことができる裁判所である。このICCの設立に関する法律であるローマ規定第7条に、人道に対する罪にあたる犯罪行為というのは、市民もしくは市民集団(a civilian population) に対して攻撃していることを知りながら(with knowledge of the attack) 、広範で組織的(widespread and systematic)な犯罪行為であるという3つの状態を制定している。

ともすれば、レッイェッコウン事件では前述の3つの状態全てを軍が犯したことが観察されている。さらに、レッイェッコウン事件は最初に起きた事件ではない。軍が同様な大量殺戮を犯した事件は少なくとも9つ全国で起きている。

軍事クーデター後、レッイェッコウン事件を含め、チン、カレンニー、シャン州、およびヤンゴン、バゴー、ザガイン管区で軍の大量殺戮により合計で国民321人が死亡した10件の事件を以下の表にまとめて示した。(翻訳者注:表は省略)


軍による極端な暴力が原因で報復が問題解決方法になっている

レッイェッコウン事件から約1週間後、軍事政権の2番目の指導者であるソーウィンの師だったオウントゥイン元准将と、ソーウィンの義理の息子であるイェーテーザ元大尉は、ヤンゴンにある彼らの住居の前でヤンゴンの2つのゲリラグループにより報復を受けた。

2つの事件に直接的な関係はない。しかし、両方の事件の根本的な原因は、国軍による人々に対する軍事作戦が生む暴力の悪循環(A Vicious Circle of Violence)である。

軍の見境のない残虐行為を自力で防ごうと報復するのが解決策となっている。不法行為を両者の交渉によって合法的に解決しようとする試みが失敗した場合、報復が解決方法であるかのように自然に取って代わるようになる。

国際社会もミャンマー人の命を失わないために、効果的かつ現実的に二者間の保護する責任(Responsibility to Protect)を果たさずに、非難で応えるばかりだ。

そのためこれからも国民の反抗を抑えるために、レッイェッコウンでの件のように軍が極端な暴力(Extreme Violence)による抑圧を続けていく可能性があり、国民も彼らが対峙する軍と勢力が釣り合わないと知っているが、可能な方法で復讐していくだろう。

国民の反乱はクーデター以降の20か月の間、衰えなかった。とりわけミャンマー史ではかつてないZ世代の若者による反乱になっており、規律正しく訓練を受けた武力で勝る国軍に対して、人々の支援の力によって対峙している。


「軍の奴隷生活」よりも他の選択を

どのような原因で軍のクーデターに対してあれほど団結した抵抗の革命を発生させたのか、という問いの答えを探してみる。

文民政府が統治していた時、民主主義の権利がほんの一部しか得られなかった。しかし、長い時間経験してきた軍の独裁制度という暗黒の時代と比較すると、ミャンマー国民が生きている間に実際に知り感じることができたのは、ほんの少しだけの「自由」と「人間の尊厳」が、どれほど人生に深い意味をもたらしたのかという点である。もし民主主義が完全に発達した国でのように「自由」と「人間の尊厳」を完全に獲得するならば、どのようであるだろうか。

そのため、春の革命期を通して、街頭で何度も聞かれた、今日まで叫ばれ続けている「軍の奴隷という人生に陥らない!」というスローガンはしっかりとした明快な「革命の精神」として見てとれる。

ミャンマー国民のそうした精神を国際社会が理解していると思っているが、完全には理解していないことを、ミャンマーの問題への無関心が証明する。

ミャンマーの人々は今日この時まで、何千人もの命を犠牲にし、軍の奴隷である人生という選択肢以外の道があることを示してきた。その道を決して振り返るまいと歩む人々が大勢いる。


春の革命は自由と人間の尊厳のための闘争

国際社会は春の革命の深さを本当に理解していなかった。

ミャンマーで過去に発生したことのある国軍によるクーデターが、また起きたと見られていた。今回も、デモを軍隊が迅速に鎮圧することができ、国中が正常に戻っていくと予想していた。

国民革命戦争を公然と嘲笑し過小評価した世界中の多くの学者による評論や、双方が暴力的で、暴力を双方がやめる必要があるといった声からは、春の革命を国際社会が誤解していることが明らかである。

いまだ、軍の指導者と民間の政治指導者の間の政治勢力の競争によって引き起こされた政治的問題と見られている。そのため、両者が会って交渉すれば問題を解決できると、考えられている。

春の革命は「自由と人間の尊厳のためのミャンマー国民の戦い」ということを国際社会が正しく理解すべき時が来た。

同様に、世界のある場所である人々の集団が自由と人間の尊厳のため抵抗しもがいている様子を、世界のほかの人々は自国の法が及ぶ範囲の外側での出来事に過ぎないとして傍観したり無視したりすべきではない。

しかし、国際的な協力を期待せず自由と人間の尊厳の発展は自らもがき闘うことによってのみ得られるということを、ミャンマー国民はすでに理解している。

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( 翻訳者:KS, HN, AI, YS, KY, FH, AK, YO, GM )
( 記事ID:6531 )