軍とコーカン軍の支配の狭間で揺れるラーショー市
2025年11月29日付 その他-ミャンマーナウ紙 紙

中国の協力を得て、銃撃戦を経ずにラーショー市の奪還に成功した軍委員会は、北東部軍管区司令部が包囲されないようラーショー市の出入口であるラーショー・ティーボー、ラーショー・マインイェー道路からのコーカン軍の撤退を要求している。

シャン州北部のラーショー市を軍委員会が奪還してから約8ヶ月後に、病院や学校は再開したものの、コーカン軍(MNDAA)が市の出入り口となる道路と電力供給の掌握を続けている。

マンダレー・ムーセー交易ルート上に位置するラーショー市は、シャン北部最大の都市であり、経済的な要衝でもある。

中国国境からわずか100マイル程度の距離に位置するラーショー市は、第二次世界大戦中、中国、日本および同盟国軍の軍事拠点都市として知られていた。

1970年以降、中国国境から再び勢力を拡大したビルマ共産党(CPB)の活動を制御するため、北東部軍管区司令部が置いたほどラーショーは軍事的に重要な都市であった。

ラーショー市はミャンマーの鉄道路線の終端に位置する都市で、中国政府が実施予定の「一帯一路」構想上の重要都市でもある。

このような重要都市に対し、コーカン軍(MNDAA)と連合軍は1027軍事作戦の第2波として2024年6月25日に攻撃を開始した。

それから1ヶ月超が経った8月3日、コーカン軍が北東部軍管区司令部を占領すると、同司令部は1027軍事作戦で軍が最初に手放した司令部として歴史に名を残した。

敗北した軍は、北東部軍管区司令部をマインイェー市に臨時に設置することを余儀なくされたが、その都市の東側にはワ族の自治地域のタンヤン市がある。

中国の圧力により今年4月にコーカン軍は、ラーショー市の12地区を軍に引き渡したが、ラーショー市の迂回路を含む残りの75の村落区の支配は継続している。

こうして拠点を移して以降、コーカン軍と軍委員会は、ラーショー市のスィンナカウン(2頭の象)ホテルにて、地域内における両者間の軍事的緊張を回避すべく、月に一度協議を行っている。


現在、ラーショー市内でこそ軍の統治が継続しているものの、市の郊外の村落や、ティーボーおよびマインイェー郡内の一部の村は、コーカン軍による都市行政のもとに置かれている。

この状況は、かつて北東部軍管区司令部が置かれていたラーショー市が、脱出口を失い、コーカン軍に包囲され封じ込められていることを意味する。

したがって軍委員会は、北東部軍管区司令部の脱出路の確保を目的として、マインイェー・ティーボー、マインイェー・ラーショー道路を奪還するために、当該地域からコーカン軍を退かせたい意向であるが、コーカン側がこれを聞き入れないため、両者は再び協議を行っているとコーカン側に近い情報筋が述べている。

協議の結果については、双方からの発表は出ていないが、コーカン軍がマインイェー・ラーショー道路に兵力を補充しており、軍側が移動ルートを封鎖していることから、市民は戦闘の再開をおそれている。

ラーショー市の住民(50歳)は、「今マインイェーの方では、コーカンが撤退するだのとしないだの言っており、(道路の)閉鎖と再開が繰り返されていて、ティーボーでも道路が封鎖されている。ラーショーは板挟みになっていて、何か起きたら逃げ道がない」と語った。

今月14日からティーボー・ラーショー道路上のティーボー橋は軍に封じられたままで、半月経っても再開されていない。

貨物の輸送
ラーショー市内の12地区への出入りを取り締まるために、メーハン村エーティー橋、ラーショー市の迂回路の3か所に軍が検問所を設け、検問を行っている。

また、ラーショー市の住民によれば、中国側からの貨物の市内への運び入れが許されていないため、ラーショー市内よりもコーカン軍(MNDAA)支配地域である郊外の村落部の方がにぎわいを見せているという。

また別の住民は、「エーティー橋には10の役所機関群があって、ムーセー側からの中国製品は一切市内に搬入することができない。それで貨物が市外に集積されて、メーハンやホーペイ村方面がよりにぎわいを見せているのだ」と述べた。

シャン州南部と北部を結ぶ道路のナンラン・チャウグー区間も、軍が密輸取締りを理由に閉鎖と再開を繰り返しており、旅行者や商人が困難に直面していることがラーショー市の商人の話で明らかになった。

軍側は、ラーショー・マインイェー道路を開いているが、貨物輸送が禁じられているため、貿易に頼るラーショー市民は困難な状況に陥っているという。

軍の統治下にあるラーショー市の状況軍が市内に戻ってからすでに8か月近くが経つが、 市内の電力供給はまだ平常に戻っていないということが地域住民の証言から明らかになっている。

「4日間で1回、2時間しか来ないという状況で、電力供給が安定していません。太陽光、発電機だけに頼って暮らしているのです」と、上記のラーショー市民の男性は言う。

ラーショー市に電力を供給する変電所の一部は、コーカンとタアン軍の支配地域にある。

ラーショー市の「スィンナカウン(二頭の象)」ホテルにおいて、コーカン軍と軍が毎月開催している会合において、電力回復のための対策についても協議を行っているとコーカン軍の構成員ら及び情報筋が述べた。

軍隊が再び入って来て以来、ラーショー市の500床国立病院、軍病院および民間病院は再開している。市民の大多数が頼りにしている500床病院では、医師と看護師の人員が不足しており、医薬品もまだ不足している状態だと実際に現場を経験した人々は語る。

「国立病院では、医師は全員揃っていない。 出勤している医師の中には、民間の診療所を掛け持つ者もいる。病院にない薬は、外部で探して買わなければならないのだ」と、実際に現場を経験した女性は言う。

また、交通アクセスの困難のために、医薬品不足にも直面していることが分かった。

「ラーショー市内の地区では、軍委員会傘下の教育省が管轄する基礎教育学校が開鎖され、郊外ではコーカン軍の学校が開校されている。」

今月24日、軍委員会はラーショー大学を再開した。軍は市内の教育大学も再開に向けて、準備を進めていると市民らは言う。

ラーショー市内にはコンピューター技術大学があるが、これらの大学もコーカン軍が支配するメーハン村とホーペイ村にあり、いまだに再開できていないことが市民らの話から明らかになった。

軍が戻って以降、ラーショー市では、麻薬使用者、窃盗および強盗が再び増加していると市民らが語った。

「コーカン軍の時期は、見せしめのために捕まえることが多かった。その後は、かなり落ち着いた。今は地区内の至る所でまたアヘン常用者が増えてきた。物がなくなることもしばしばだ」とラーショー市在住の別の男性が述べた。

軍による制圧後、空爆が行われなくなったため、戦闘から逃れていた市民の半数余りが自宅に戻ったが、商売は以前のような平常には戻っていないとラーショー市民が述べた。

「人々が戦闘から逃れて避難した後、お金が尽きて戻って来たことで、市内にまた人が増えて来ただけの話だ。経済は回っていないし、商売にならないから、お金に余裕がある人は誰もいない。以前のようには商売がうまくいかなくなった」とラーショー中央市場で商売をする業者が述べた。

ラーショー市では、ミャンマー経済銀行1行のみが再開しており、それ以外の民間銀行はまだ再開していないと市民は言う。

地元に戻った市民の大多数は暮らし向きが悪くなったため、家や店舗を安価で売却しており、中にはヤンゴン、マンダレー、タウンジーなどに転居した人々もいることがわかった。

コーカンと軍のラーショーでの戦闘が激化してから1か月の間に、社会福祉支援団体のメンバーを含む民間人130名余りが死亡し、200名余りが負傷したとコーカン軍およびタアン軍が声明で明らかにした。

コーカン軍がラーショー市を支配した8か月の間に、軍は空爆を30回超行ったことで、政治犯1名、被拘束者2名を含む市民10名前後が死亡した。また、100名近くが負傷したと市民らは述べる。

ホテル、宗教施設、学校、役所の建物、中央市場を含む100軒余りの住宅が破壊されたと地元住民が述べた。

軍委員会の世帯票によるとラーショー郡には12の地区と75の村落区がある。シャン人が多数を占めるが、コーカン、ビルマ、パラウン、カチンの他、モン、ワ、ラーフー、ミャウンズィー、リースー、ヒンドゥー、グルカ民族も居住している。

市内の12地区の人口は約150,000人であり、残りの半分は村落に住んでいる。戦闘期間中は、12地区域の約100,000人が、危険から逃れることを余儀なくされた。

中国政府の介入により、軍とコーカン軍は今年1月18日に停戦した。

中国外務省アジア特使トーシーチュン氏の介入により、ラーショー市内の12地区は、今年4月17日に再びコーカン部隊から軍へと引き渡され、4月22日にはラーショー市からコーカン部隊が引き上げた。

ラーショーの現状は、双方の政治的対話により達成された状態ではなく、あくまでも中国の強い圧力によりもたらされた状況に過ぎないのである。

双方の小競り合いや武力衝突はあるが、現在の状況を鑑みると協議によって前進が可能という状況だ。ただし、両軍の間でこの状況がいつまでも続くと断定することはできない。

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( 翻訳者:Y.S, S.A, YK.S, HR.M, HN.M )
( 記事ID:7238 )