ハートの町(10-19-8-1)

2014年05月27日付 The Voice 紙
 速度を落として停止したバイクを降りると、10代のカップルは互いにふざけあいながら柵の中へと入っていった。彼らが来た場所は「愛なくして入れない恋人たちの村」。

 その場所は村ではない。飲食店につけられた名前だ。しかし、飲食店といってもそこには、普通の店のように、テーブルと椅子が並べられてはいない。カーテンで仕切られた入り口以外、用心深く囲われており、板張りされた茅葺きの屋根の周囲6フィートほどの離れ小屋が19棟ある店である。
 その地域には大学があり、詩人マウンチョーヌウェ、作家ダゴンシュエフミャーら著名な文学者、芸術家らをも輩出しているピィ市郊外の、民家が疎らなバインナウン大通りの一角である。ピィ市民らにとって、そうした店はそれほど珍しくはない。
 なぜなら、ピィ市のひと気のない通り、人里離れた場所では、そのような店が散見されるからである。テーブルのひとつひとつがかろうじて周囲から見えない程度に仕切られた店もあれば、2人きりで会うことができる離れ小屋まである。一部の店では、部屋のサービス料が別に設けられている。料理や飲み物を届けるとき以外に、邪魔をする人はいないので、離れ小屋は恋人たちにとって安息の場である。
 「部屋代として1000チャットを支払わなければならない。部屋の中には、部屋を遮るための毛布が一枚、予備の毛布がもう一枚、小さなテーブルが一つ用意されている。電灯はない。このような場所は、恋人同士で来ることが多い」と、自身も足を運んだことのあるコー・ゾーナウン(仮名)20歳は話す。
 このように、恋人たちをターゲットにし、2人だけで人知れず会うことができるよう、飲食店、コールドドリンク店を装って、別途サービスを提供する部屋を貸し出す形態の飲食店市場が、2010年以降拡大してきていることが大学生たちの話から分かる。
 ミャンマー全土に大学、カレッジ[単科及び短期大学]は計164校あり、その学校周辺や通学路、もしくは学生たちをターゲットに人通りのない場所で離れ小屋を営む店が、どれくらいあるのか、データがないため推測するのは難しい。しかし、そのような店の開業が、明らかに増加してきたことも、否定できない状況にある。
 タウングー市から、およそ13マイル離れた技術大学と、2マイル程離れたコンピューター大学の所在地周辺に位置するケトゥーマティーミョウティッとティーシャイン通りで、コールドドリンク店、コーヒーショップと称して、5棟から15棟の離れをもつ店があること、大学が設置されて以後、宿が次々と出現し、土日を除く通常の通学日には人通りが途絶えがちだが、通信教育大学の学生たちのスクーリングの時期になると、一週間を通して賑わっていると、市民が語った。
 個別に仕切るつい立てが安心感を与えているその小屋で、恋人たちが出会うとなれば、隔絶された場所で年少者同志の間に不測の事態が発生しうるために、年配者、中年層の人々は口々に批判しているが、若者たちの大半は好意的に受け入れている。
 「ホテル、宿に行かなければならないと、人目につく。部屋代も、少なくとも8000チャットほどはかかる。このような部屋があると、落ち合うのも問題ない」とコー・ゾーナウンは話す。
 一部のカップルは、離れ小屋があるところを選ぶ傾向があり、一部は時間制の宿を選んで、時間を過ごす傾向があることが、学生たちへの調査から分かる。
 市外にある大学の周辺では、国民証を提示する必要のない時間制の宿に、大学生が生服のまま堂々と往来していること、しかるべき指導をする必要があるのに、現地当局は何の防止策にも乗り出さず、大学生の倫理観を崩壊させ、教育や大学生のイメージを損なわせようとしているかのようだと、大学生が道を踏み外し、学業が疎かになっていることに関して、畜産獣医大学元学長であり、作家でもあるチーミンが悲しそうに語った。
 「大学を町外れに移転させた。時間ができると宿に行く。大学生とはこの程度のレベルであるとの認識を植え付けようとしているかのようだ。時間制の宿も現れだしている。[政府は]農民の土地でさえ没収している、それなのにこのような宿をなぜ規制しないのか」と同氏が指摘した。
 1940年代、イギリス植民地政府の下で、“メタリック[Matriculation]試験”と呼ばれた大学入学のための最終学年試験にて、大変な難関を突破し、ラングーン大学に入学することができると、人々の賞賛の的となり誇らしかった、それほど偉大な伝統を持つ大学生の存在が、だんだんと色褪せ落ちぶれていき、1996年以後、大学は郊外に移転させられ、学生たちも同様にはじき出された。
 制度の変更に翻弄され、その犠牲となった大学生たちは政治以外の事なら行うことができる状況にはなってきた。大学の学生寮に寄宿させなくなったことから、借家で干渉されることなく自由に暮らしてきた。
 現在、郊外に設置された大学を目当てに、私設の下宿に加え、時間制宿、離れ小屋、居酒屋、KTV[カラオケバー]、ビリヤードセンター、ゲームセンターが続けて開業され、学生たちは誘惑にさらされている。
 そのような一部の店は、現地当局の管轄地区外に位置しており[規制されないが]、郡区内の飲食店、喫茶店であれば、規定された基準に合致することなく店を密室にして開業することはできないと、ピィ郡行政当局の職員のひとりが語った。
 「大学の近くに、店が開業されるならば、コールドドリンク店、飲食店経営とプラスアルファー何をしているのかを学校と政府が把握しておく必要がある。実際に休憩所としての目的を果たしているところもあるが、別のことが目的になってしまっているものもある。すべての学生がそうだという訳ではないが、大学に暗い影を落としている問題である以上、阻止すべきである」と国民議会議員ドー・ピューピューティンが見解を述べた。
 1988年以前の大学生活のように、楽しいイベント、図書館の集い、芸能、文化活動などを通じて、家族のように深い結びつきが持てた時代を、現代の大学生たちにも経験してもらいたい、だから大学を元あった場所に戻させたいと、ドー・ピューピューティンは語った。
 「生服のままで、宿に入っていくのを目にするようになっている。タンリンGTCや経済大学付近にもある」と物理学で学位を取得した卒業生のひとりが語った。
 最近も、技術学校の教室内で恋人たちが一緒にいる動画がインターネット上で広まっていった。その出来事に対し、大学が郊外に移動したからと批判する人々がいる一方で、学校教育の衰退、盗撮をした人への非難が噴出し、最終的に、その恋人たちは学校中途で、正式に結婚した。
 大学周辺に、学生たちの品行を崩す要因となる店が多く存在していることに対して、関係当局は排除に乗り出すべきであること、学生のためを思えば、指導が行き届く寄宿舎の設置が強く望まれていることが、ヤンゴン大学の教員たちからの話から分かる。
 若者たちの間で、今生じている問題に関し、彼らの興味関心がスポーツや社会に向かうよう指導すべきだと、ミャンマー語学科(元助教授)ウー・ミョータンが意見を述べた。
 「若者たちに、利他の心を教える。「ピィードゥニーティ[国民としての教訓]」を、現代に合うように手直しをし、教える。それぞれの務めを果たすという精神を養う必要がある。仏陀の教えとミャンマー文化とを分離することはできない。滅びの道をたどっている若者たちを、スポーツや社会貢献の側に再び振り向かせる必要がある。商売人たちも自分の利益しか目に入らない利己心に支配されている」と同氏が指摘した。
 時代の変化に応じて、変わってきたファッション、考え方、生活環境に関して、批判が大きくなってきている。急激な変化を誰も止めることはできないが、正しい道にたどり着くよう、どのように導いていくのか、考えるべき時期に来ている。
 あたりが徐々に暗くなってきた。その時、ひとりが一方の腰に情熱的に手を回し、小声で話しながら、恋人たちが小屋から出てきた。一日の使用料として1000チャットに加え他の代金をその恋人たちが支払って帰ろうとしているときに、別のカップル2組が小屋へと進みそれぞれ中に入っていった。
 その小屋へと日々、恋人たちは引きも切らずやってくる。             (ミャッノーキン)


同じジャンルの記事を見る


翻訳者:松浦 宇史
記事ID:743