≪社説≫ミャンマーの大学教育はいかに?(10-33-19-1)

2014年09月02日付 The Voice 紙
 世界をよりよいものとするために、人としてのレベルと品位を高めるために、重要な影響力をもつものは教育である。
 1887年にイギリス政府はインドにあるカルカッタ大学の下にヤンゴンカレッジを創設した。その後、1920年にイギリスのオックスフォード大学とケンブリッジ大学を見本にして、ヤンゴン大学を設立、ミャンマーで最初に大学教育の種が撒かれた。
 ヤンゴン大学は実際に東南アジア諸国で最も初期に創設され最も影響力のある大学の1つであった。そればかりでなく、1940年から1950年過ぎまで、アジア地域や諸外国から学生が教育を受けに来るほど有名で、アジア屈指の大学の一つに数えられていた。
 それほどまでにヤンゴン大学の水準が高かった理由として、政府とは別に自律した大学評議会が自由に大学を管理する権利を持っていたことが、まず第一に挙げられる。
 大学は、優秀で傑出した専門家や教授を大学に留め置くために、魅力あるところでなければならない。その著名で優れた教授達のおかげで大学の評判がより高まる。
 このようにして、アジア随一のヤンゴン大学は、アウンサン将軍、ウー・ヌー、ウー・バースェ、ドクター・バモー、タキンミャー、ウー・タン、ウー・ヤーザッ、マンウィンマウンらのような政治指導者や、ウー・フラーペー教授、J.S.ファーニバル、ウー・ポーチャー、ウー・ペーマウンティン、トーセインコー、ドクター・タントゥンらのような学者、テイパンマウンワ、ゾージー、ミントゥウン、テインペーミン、ルートゥー・ドー・アマー、ウー・バガレー、ウー・ティンマウンらのような文学者や芸術家も輩出した。
 しかし、1962年にネーウィン将軍が主導したクーデターで政権が掌握されて以降、ヤンゴン大学を政府の支配下に組み込んだだけでなく、英語での教育からビルマ語での教育へと変更し、その後、ヤンゴン大学の水準が徐々に低下し、ここ50年の間でヤンゴン大学の学卒者がどの位置にあるかは、見ての通りだ。
 今日、世界に名だたるケンブリッジ大学やオックスフォード大学を見本にして設立されたヤンゴン大学が、ミャンマーの大学教育の現状を示す最も顕著な例の1つであるとすれば、今日の大学教育改革が、どれくらい進んでいるのか、今日、東南アジア、アジア全体のどのレベルに達しているか、何年間で、どのどれほどの向上を見込んでいるのか、どのようなカリキュラムをどのように教授が教えるのか、ミャンマーの大学教育をどの水準に押し上げるかという明確な目標、到達地点はあるのかといった疑問も出てくる。
 しかし今日まで長年の間、間違った大学入試の合格点を中央が定め、大学と単科大学合わせて多くを作り続け、先生や教授の質を高めることを怠たり、教授を含む教師の異動を中央が管理し、時代遅れの教材、研究室、古いカリキュラムを使って指導し、不正な方法で試験に合格する道を開いているかのような遠隔大学制度の実施を、政府、あるいは教育省が管理することが続いている。
 ミャンマーによりよい社会が生まれるよう、ミャンマー人の民度と品位を高めるために、現在、大学教育はいかにあるべきかが問われているということに気づくべきである。


同じジャンルの記事を見る


翻訳者:井坂理奈、高山秀俊
記事ID:1005