食堂経営者サエニの悲話と不寛容への批判

2016年06月13日付 Kompas 紙
去る6月10日バンテン州セラン市にて、市警察当局により売り物の料理を運び出され、涙を流す女性
去る6月10日バンテン州セラン市にて、市警察当局により売り物の料理を運び出され、涙を流す女性
 
 ジャカルタ、kompas.com配信
 去る6月10日、セラン市自治体警察*1 に売り物の料理を押収されたとき、バンテン州同市で食堂を営むサエニ氏(53)は泣くことしかできなかった。

 サエニ氏は、断食月ラマダンに西部インドネシア時間16時以前の食堂の営業を禁止したセラン市による通達の中の規則に違反したとされた。

 コンパスTVの取材による映像では、サエニ氏は料理を押収しないよう警察官に懇願しながら涙しているように見えた。しかし、同氏の涙は意に介されなかった。警察官は料理の押収を続けた。

 その取り締まりで、当局は日中に営業していた数十の食堂を摘発した。料理は全て押収された。

 一方で、何人かの食堂経営者はラマダンにおける日中の営業禁止要請を知らなかったため、日中に営業していた。ルバランを控えて金が必要なので店を開く者もいた。前述の放送はソーシャルメディアを通じて人々の間で拡散された。

 サエニという人物はネット市民の話題となった。多くの人はサエニ氏に同情した。

 ジャカルタ在住のネット市民であるドゥウィカ・プトラ氏は、前述の自治体警察による取り締まりを受けた売り手のための募金を率先して行った。

 ツイッターのアカウントを通じて、ドゥウィカ氏はネット市民に自身の銀行口座を通じての寄付を求めた。

「昨日の深夜0時前、私は自分の口座を空にするためにATMを探し、40万ルピアを残してあとはすべて引き出した。もしその女性に寄付したい人がいればどうぞと、私は(口座の)番号をシェアした」と6月11日にドゥウィカ氏はコンパス紙の取材に対して答えた。

 ドゥウィカ氏は生活の糧を失ったひとりの女性を助けることを意図したのであり、地方条例については考えたくないと語った。同氏はそれに含まれる宗教的問題も気にしていない。

「その日、少なくとも私はその女性が生活の糧を失ったのを見た。その出来事を見て私は助けたかった」とドゥウィカ氏は述べた。

 ドゥウィカ氏は募金活動は好意的な反応を得たと話した。ネット市民が女性を助けるため一つに団結したと言えるだろう。12日の正午に、同氏は募金を終了した。

 最新の報告では、ドゥウィカ氏は2427もの寄付を受けたと述べた。総額2億6553万4758ルピアが集まった。

 計画では、支援金が与えられるのはサエニ氏だけではない。自治体警察の取り締まりを受けた他の売り手にも支援金が与えられる。

非難を受けて

 サエニ氏の売り物を押収するというセラン市自治体警察の行動はいくつかの方面から非難を受けた。彼らはラマダンの日中に食べ物を販売することを禁じたセラン市の通達をも批判した。

 ナフダトゥル・ウラマーの若き知識人であり、普段はサフィック・アリと呼ばれるムハンマド・シャフィ・アリ氏は、セラン市による食堂へのラマダンの日中営業禁止令はかえってイスラーム教のイメージを壊し、寛容の風土を乱すと評する。

 前述の禁止により、あたかもイスラームがいつも全ての人に対して強制を行う宗教であるかのようなイメージが作られてしまうとサフィック氏は語る。

「これはイスラームの印象を悪くし、人に対して常に強制を行う宗教であるかのようにしてしまう」と、今月11日のコンパス紙の取材に対してサフィック氏は話した。

 サフィック氏はまた、インドネシアは様々な民族や宗教から構成される多元的国家なのだと注意している。

 イスラーム教徒でなく断食していない人々は、日中も食事する必要がある。もし多くの食堂が営業禁止を余儀なくされたら、彼らが食事するところを探すのは困難になるだろう。

「私はこれもまた寛容の風土を損なうだろうと思う。例えばイスラーム教徒でないか断食中でないという理由で日中食事しなければならない人々が、インドネシアには多く存在している」とサフィック氏は述べる。

 加えて、前述の禁止令の存在はむしろセラン市がイスラーム教徒の敬虔さを疑っているかのようだとサフィック氏は語った。同氏によると営業中の食堂の存在が、誰かが断食をやめる引き金になるという考えが浮上してくるという。

「イスラーム教徒は信仰が弱いので、食堂が営業していたら断食をやめてしまうかのようなことを示唆するのは問題である。彼らはイスラーム教徒の信仰がそれほど薄っぺらいと考えているのか」とサフィック氏は語った。

 サフィック氏はラマダンの日中に食堂の営業を禁止する規則の適用におけるセラン市の法規範の原則を疑問視する。

 サフィック氏は前述の地方条例の根拠となりうる法律はインドネシアに1つも存在しないと述べる。

 「私の考えではそれは不要な措置だ。セラン市は断食月に食堂を閉めさせる権限を持たない。この法的根拠は何か。ないだろう」とサフィック氏は話した。

 一方でイスラーム法には、断食月の日中に食べ物を売ることを禁じる規定は全くないとサフィック氏は述べる。

 もし根拠が(他宗教に対する)「寛容」という考え*によるならば、このことは布教の呼びかけの一端であると見なさなければならない。そのためそれを強制することはできない。

「基本的に、イスラーム教自体に断食月に食べ物を売ることの禁止はない。イスラームを根拠としているものであるなら、この禁止には根拠がないということだ。もし「寛容」の名においてならば、それは布教の呼びかけなので、強制することはできない」とサフィック氏は述べた。

政治的利益でいっぱい

 サフィック氏は、セラン市によるラマダンの日中の食堂営業禁止は、宗教上の問題よりも政治的な問題をはらんでいるとみている。

 サフィック氏によるとその条例は、イスラーム教徒に好感を抱かせるための、ある勢力による政治戦略の一部だとの印象を受けるという。

「これは、好感を抱かれるようイスラーム教徒の共感を得るための権力的策略でしかない。イスラム教には断食月に食べ物の販売をすることを禁止する規定はないのに」とサフィック氏は語った。

 サフィック氏はまた、前述の禁止規定は断食月の間の好ましい環境を作り出す試みに基づかない権力誇示の一部であるとも述べた。

 なぜなら、取り行われた禁止運動はすでに自治体警察隊のような行政の権力装置という要素を巻き込んでいるからだ。

「私は、自らがイスラーム的であることを印象付けるための権力誇示の一つだと思う。また、私はこの食堂の営業禁止という権力行使が、イスラム的であるとは思わない。動機の根本は、宗教的というより政治的なものだ」とサフィック氏は述べた。

 同様のことはムハマディヤ(*註釈1)青年団体の中央指導部長であるダニル・アンザル・シマンジュンタック氏によっても述べられている。同氏によると、ラマダンを前に突如として現れた地方の食堂閉鎖令の横行に、政治的利益が見受けられるという。

 ふつう上記のような政策は、地元のイスラーム教徒たちの利害の受け皿になることで、あたかも自らがイスラーム的であるかのように見せたい一部の地方首長らが用いる政策だからだとダニル氏は述べる。

「断食の本質はイムサック(断食に入る未明の時刻)にある。すなわち、どのような試練にも耐えてゆこうとすることなのであり、強い信仰心を持ったイスラム教徒にとってはそれらすべての誘惑に耐えることが断食の本質であるのに」と、今月12日にコンパス氏の取材に対しダニル氏は語った。

*注釈1インドネシア国家が運営する国家警察ではなく、地方自治体が運営する警察組織
*注釈2 torelansi、すなわち他宗教への「寛容」の名のもとに、自宗教の慣行(ここでは断食)を他宗教の信徒にも強要するかのごとき傾向がみられる。

*註釈3 インドネシアにおけるイスラ-ム団体の一つ。近代的で穏健なイスラームを志向する。


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翻訳者:牛上皓右
記事ID:2650