(Opinion)メディアをどのように理解するか、なぜか(11月29日)

2018年11月29日付 The Voice 紙
今日よく言われているメディアリテラシーは、メディアと関連した理解もしくはメディアの認識レベルと言える。メディアをどのように、どんな形で受け入れ、批判し、分類し、分析し、調べ、消費し、生み出さなければならないのかを理解する能力とも定義できる。

メディアという言葉そのものの意味には、多くの国民が知り、感じ、理解させるよう知らせる中間財や方法が全て含まれているところ、別の意味での定義もそれぞれあるが、この場では報道機関としてのメディアに集中して述べたい。

先日、新しく組織されたミャンマープレス評議会と国家顧問がネーピードーにて会った際に、報道機関に対する国家顧問の見解、質問と関連して、様々な解釈、批判が表面化してきた。

特に、メインストリームメディアと呼ばれる基幹メディアと、ソーシャルメディアと呼ばれるオンラインソーシャルネットワークメディアの二つの本質を混同しているようである、もしくは理解がずれているようである国家顧問の見解に対し、広くコメントが表れてきた。

メインストリームメディアまたはマスメディアは、情報や知識についてきちんと訓練を受けてきた報道記者、エディター、発行者によって設立されており、住所を公にして組織、設立された報道機関は、体系的に調べ上げ、検討し、承認し、編集するという段階を経て、責任の所在が明らかになった情報や出来事を多くの国民に対して報道し、配給し知らせるのである。

それ故に、上記のメインストリームメディアが報道し明らかになった情報、ニュース記事、出来事に満足していないならば、該当する報道機関に対し、どんなときでも反論することができるほか、現行法で訴えることができる。実際にも、これらのメディアや記者は、訴えられたり、罪に問われたりしている。

ソーシャルメディアと呼ばれるオルタナティブメディアは、周辺で生じている出来事全て、噂全てについて承認を取ったり調べたりすることなくオンラインソーシャルネットワーク上に載せ、多くの国民に知らせるものである。

携帯電話のSIMカードを体系的に登録するシステムがないまま販売しているミャンマーにおいては、オンラインソーシャルネットワークを経由して、根拠のない、誤解される可能性があり、憎しみを募らせ、恨みを抱かせ、立腹させ、誤解を招くような間違ったニュースや、憎悪の言葉、意図的に正しいことも間違ったことも混合して本来の形をとどめないニュースが多く混ざっている。

その点はメインストリームメディアとソーシャルメディアの間の大変明らかな違いである。この二つのメディアの間に競合があることは10年前から世界規模で認められているほか、新しい時代の人々の技術的な意味で変化したライフスタイルによって、誰が勝ち、誰が負けるのかということはわかりきっていることだ。

重要なのは、社会にとってどのようなメディアがどのような役割を果たしているのか、どのようなメディアが平和な社会にとってマイナスまたはプラスが生じさせるのか、民主主義への移行あるいは民主的社会のためにどのようなメディアがどれほど利用に適していて、重要であるのかという点である。

その重要な点を知っているということは、メディアリテラシーと呼ばれるメディアの理解もしくはメディアを分類し、吟味して活用し、生み出す能力があると解釈できる。

その点をまだ知らないのであれば、もしくは、知っていながら個人的な感情、心の傷で推測し、恨んだり気に入らなかったりという色眼鏡で見るのであれば、どのメディアに対してもマイナスやプラスが別々に見えるようになる。もしくは不満が混ざった仕返しの質問で行き詰まるものである。

実に確かなことは、長年独裁制度のもとで過ごしてきたミャンマー社会は、宣伝のためのニュースメディアと社会階層問題を根拠にしたメディアとに触れてきたので、メディア全てに対して理解したり解釈したり定義したりするのが間違っている状況にある。

その状況を打開したいならば、短期的にニュースメディア、ICT業界でこの問題に習熟している専門家や組織と議論して答えを出すこと、大統領を含む政府省庁それぞれの報道担当部局と常に接していること、短期的に新しい世代からメディアリテラシーを学校の授業や決まりにおいて、年齢に応じて、学年によって教育し始めること、実際のメディアの仕事をやらせることを利用すること、これらをアドバイスする。

編集者 2018年11月28日


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翻訳者:竹淵優衣
記事ID:4642