ディエンビエンフーの勝利:特別な足跡

2019年05月05日付 VietnamPlus 紙

 ナヴァール計画でも、ベトナムの1953年から1954年の冬春作戦でも言及されていなかったディエンビエンフーは、急速に、ベトナム、フランス双方の計画における関心の中心になった。

●これは、9年間(1945年~1954年)の抗仏戦の中で、ベトナムの軍と人民の最も偉大な勝利である。同時に、フランスの植民地支配とアメリカの干渉の最も深刻な失敗であった。

●開戦及び戦い全体の準備の過程で、「速く攻撃し速く勝つ」から「確実に攻撃し確実に前進する」への方針の転換は、特にベトナム側の幹部・兵士にとってもフランス軍にとっても意外な中で行われた。

●これは、当時最大規模の戦いだった。ベトナムの部隊への参加者は最も多い時で5万5000人に達した。戦いに奉仕した民工[労働に従事する人]、青年突撃隊員は、26万2000人に上る。

●ディエンビエンフーは、ベトナムの戦争術が、戦略指導、作戦術、戦術に関して最もピークにまで発展した場所である。

●ベトナムが攻撃したディエンビエンフーは、ベトナムそしてインドシナのフランス軍の最も強い場所、最も優れた防御形態だった。

●ディエンビエンフーを決戦の地に選んだ戦略により、フランス側もベトナム側も最短の時間で[勝敗を]決定することができた。(2週間以内)


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翻訳者:榎本泰希
記事ID:4808