軍評議会による記者会見が5ヶ月以上休止している

2023年05月01日付 その他-ミャンマーナウ紙 紙
2022年11月18日に第21回として最後に行った軍評議会の記者会見 写真-軍評議会
2022年11月18日に第21回として最後に行った軍評議会の記者会見 写真-軍評議会
支持者の多数のみが出席する記者会見でさえ行えていないことを見ると、軍評議会の宣伝がうまく機能していないことをはっきりと見ることができる。

2023年5月1日

権力奪取後2年以上の中で、独立したニュースメディアは出席することのない軍評議会の記者会見を、5ヶ月以上前の2022年11月18日にゾーミントゥン少将がネーピードーの情報省で行った後、今日まで再度開催できていない。

第21回として開催したその記者会見で、軍が逮捕した国家顧問であり国民民主連盟(NLD)党首のドー・アウンサンスーチーについて、(多くの国民が親しみを込めて使っている)スーお母さん、スーおばさんという呼び方を用いることに、報道官のゾーミントゥン少将は直面しなければならなかった後、記者会見は休止してしまった。

権力をはく奪した軍部と同じ声(意見)の人々、軍評議会の支持者の多くだけが出席したその記者会見で、混乱した出来事があり、そのうちのひとつは、トゥーリヤネーウン・ジャーナルのウー・モーへインが質問した時に起こった。

ミャンマーの民主主義革命への道のりの始まりである1988年以降、政治犯となったことがあるが、現在は国営テレビの討論番組を通して軍評議会のための広告塔として立脚しているウー・モーへインが、助言、見解と題して2項目質問し、合計14分かかった。

彼の2つ目の質問に、NLD政府の指導者を逮捕し、軍部がクーデターを起こした2021年2月1日に、NLDの幹部であるウー・ウィンテインを通して国民に伝えられたドー・アウンサンスーチーの国民への要請というのは本物ではなかったという旨が含まれていた。

今日まで、軍評議会の困難に直面していることによる市民的不服従運動(CDM)に参加し、全国的な反乱を引き起こすために、ウー・ウィンテインはドー・アウンサンスーチーの名前を乱用している。ウー・モーヘインは、77歳のドー・アウンサンスーチーがうそを言うような者ではない、とゾーミントゥン少将に語った。先の国民への要請を口実にして軍評議会は80歳のウー・ウィンテインを禁錮20年の刑に処し、マンダレーのオーボー刑務所に送った。同様に、軍評議会はドー・アウンサンスーチーに対し多くの法律や条項を基に罪をでっち上げて、禁鋼刑33年に処し、ネーピードー刑務所に収監した。

その質問に対する、ゾーミントゥン少将の返答には、クーデターがまるで合法的であるかのような世界が知るところのすでに宣伝をしている軍評議会のシナリオとは食い違っている事柄が含まれていた。

2021年2月1日の朝、夜明け後、大統領府で副大統領であるミンスエ元中将が、式典で権力を譲渡し、権力をまるで合法的に獲得したかのように演じ、2 年以上前の軍評議会の宣伝と、ゾーミントゥン少将の発言とでは矛盾していた。

その式典が行われる数時間前の2021年1月31日の真夜中過ぎ、NLDの指導者であるウー・ウィンミン大統領、ドー・アウンサンスーチー国家顧問を軍が拘束したことが、ゾーミントゥン少将の説明により、更に確実となった。

「2月1日の午前(夜が明ける前の)1時から2時ごろ、国家統治の責任を引き受けるため一部の身柄の拘束がなされた。それは計画通り行われ、記録も残っている」と軍評議会の報道官が述べていたのである。

それと同じく、NHPニュースのウー・ウィンウーがドー・アウンサンスーチーのことを「アメースー(スーお母さん)」と言い表していたこと、またデピョー・メディアのウー・ゾーミンウーがカレン民族同盟(KNU)と軍の間での全国停戦協定(NCA)に含まれる合意が破棄されたのか否かを質問したことも、上記の軍評議会の記者会見を震撼させた。

NHPニュースとデピョー・メディアの質問に対して、ゾーミントゥン少将から具体的な返答はなく、ウー・ウィンウーとウー・ゾーミンウーらは記者会見が終わるや否や軍評議会に拘束された。その2名は一週間程度が経過した後、誓約を行った上で釈放された。その後軍評議会は再び記者会見を行うことはなかった。

ゾーミントゥン少将と記者らの双方が噛み合わないため記者会見を中止してしまった、と安全の確保のため名を明かさずに話した30歳を超えた報道記者の一人が意見を述べた。

「彼が育てている猿が手に負えなくなってきたので記者会見を行わなかった。(記者会見での)質問は決めてあった。(しかし)聞きたいことを聞き、さらに質問ではなく提案をして手当たり次第話したのでそのうちに恥をかいた。(こうしたことが)問題になったので記者会見を休止している」と彼は語った。

文民政府を崩壊させた2021年のクーデター以降、軍評議会の記者会見においては質問のタイトルと質問数に制限を設けたが、自動車の制限速度超過運転による処罰、土地所有をめぐる紛争のような軍政府の私的利益に関する長くて複雑な質問があった。

軍評議会のその記者会見では、クーデター前に選挙の結果によって国家を統治したNLD(国民民主連盟)政権時代の記者会見では遭遇したことのない、聞いたことのない報道機関が現れた。

NLD政権の時代、Facebookにおいて報道機関と名乗って立場を確立させてきたアミョーダーイェー(国民にとっての重大事)のための活動家、軍を支持する連邦連帯開発党と、軍支持者の多くが軍評議会の記者会見に参加した。

ミャンマーナショナルポスト、ニューヒストリーフォーピープル、ボイスオブミャンマー、ミャンマーハードトーク、97メディア、ミャンマーパブリックプレス、ネーピードータイムズオンラインエージェンシー、トゥーリヤネーウン、デピョー、アコンティといった報道機関だ。

「彼らは一つの報道機関を名乗り、報道記者も彼らのみ、編集長も彼らのみ、といったことになっている。報道機関を一つ設立しておき、人は一人だけいる」と、軍評議会の記者会見に時折出席する人物が言った。

それらの報道機関が尋ねた質問の多くの中で、NLD、国民統一政府(NUG)、国民防衛部隊(PDF)らをテロリストとして軍評議会と同じ口調で話していることがわかった。

軍評議会の兵士の仕業で亡くなった後家族のところへ遺体すら返されないこと、手配中の人を捕まえられなかったら子供も容赦せず身代わりに逮捕すること、市民の家を破壊すること、集団殺戮、幼い子供も亡くなっている空爆など、軍部隊の人権侵害、犯罪に関しての質問を軍評議会の記者会見では聞くことがない。

「現在、記者会見では正真正銘のジャーナリストなどは来ないものだ。記者会見すらしないことはそれらのためだと聞いた」と軍評議会の記者会見を避けているヤンゴンを活動拠点とするジャーナリストが述べた。

2021年2月1日に軍がクーデターを起こした後、彼らが望まない類のニュースを出した本紙を含む報道機関に発行許可を取り消し、報道記者の逮捕、国民の情報を知る権利を損なわせるインターネット遮断、フェイスブックの使用を監視することなどを軍評議会は引き続き遂行している。

「(クーデター後の)記者会見では自分の尋ねたことでも、自分の話した言葉のせいでも、逮捕される可能性がある。・・・彼ら側の人々でさえ彼らの好まない言葉を用いたら逮捕されるので、全く報道の自由が許されていないということを示している」とBBCの元記者コー・アウントゥヤは述べた。

彼はクーデター後1ヶ月が経過した2021年3月19日にネーピードーのデキナ県裁判所前で逮捕されたことのある人物であり、軍評議会の尋問所で3日間耐え抜き、再び解放された人物である。

逮捕時、軍評議会は彼を車に押し込み、帽子をかぶせて連行したため、一体どこに着いたのかわからなかった。24時間食事を与えられなかった。この逮捕時に、(自分が)英国を拠点とするBBCの記者であったため尋問中苦痛を免れたと、同氏は語った。

7月(翻訳者注:4月の誤記と思われる)11日に軍評議会の戦闘機やヘリコプターによる空爆で子供40人を含む170人近くが亡くなったザガイン管区カンバルー郡パジジー村の事件後、Facebookのアイコンを黒くしたThe Voiceの編集長ウー・チョーミンスウェさえ軍評議会は最近逮捕した。

国境なき記者団(RSF)の2022年末の統計によると、クーデター以後2年間ミャンマーは世界報道自由度ランキングの中で、下から数えると3番目の位置にいる。ミャンマーの報道関係者70人以上が軍評議会によって逮捕されたままである、とRSFの上記の統計からわかった。

そうした状況を見ると、軍評議会の記者会見に参加している人々の能力を知ることができた、とコー・アウントゥヤが述べた。

「以前は、記者会見は市民が知るべき情報に基づいて質問と回答をしていた。自由でもあった。再び記述したことに対して、なんの問題もなかった。クーデター後はというと、(軍評議会が)述べたいことを市民のもとに届けるために行う記者会見となった」と同氏が述べた。


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翻訳者:Y.A, Y.S, K.F, H.K, G.M, A.I, K.Y, H.M, A.K, H.M
記事ID:6641