ミャンマーの困難がタイの好機になりつつあるタナッカー

2024年12月14日付 その他 紙
写真 シャイン・ブーシェー
写真 シャイン・ブーシェー
「シュエボータナッカー ヤンゴンで塗らんと持ち帰る どんなに黒い肌も光り輝く白さに」と歌われるナンドーシェー・サヤー・ティンによる「ヤンゴントゥー」という歌を知らない人はまずいない。原曲名「ヤンゴントゥー」よりも「シュエボータナッカー」の名で多くの人々に知られている。

サヤー・ティンの歌の中のシュエボータナッカーは並大抵の品ではない。サガイン地方の最高級品であり、またミャンマーの最高級品である。シュエボー市産のタナッカーの木質は赤い砂利質の土壌で育つためきめが細かい。香りも特別に芳醇だ。

シュエボータナッカーと同様にパコックーのシンマタウンタナッカーもベィッタノーの王女が塗ったタナッカーとして有名である。また、アヤドー市は、タナッカーの町とされるほどタナッカーの農園がいたるところに存在する町である。

ミャンマーとタナッカーを切り離すことはできない。老若男女の顔に塗られているタナッカーをみればミャンマー人だとすぐにわかる。タナッカーはミャンマー人にとっての優雅さと上品な美しさの基準である。

いかにもミャンマーらしいミャンマー・タナッカー
ミャンマー人がタナッカーを塗るようになったのは約2000年前のピュー時代からであると、歴史家たちは考えている。バガンのナガーヨウンパゴダやアペヤダナーパゴダ、グーピャウッチーパゴダなどの壁画には、若い女性と石板の絵が見られる。

西暦1383年にヤーザーディリッが著した「タナッカーの石板の上に冷たい飲み水を混ぜて擦ると、芳香が立ちこめる」というトウンダウン相聞歌は、文学作品に見られるタナッカーに関する最古の証拠である。

バゴーのシュエーモードー・パゴダ博物館には、ダートゥカリャーの名前が刻まれている石板が展示されている。この証拠によって、ミャンマー人は歴史的にタナカを化粧品として用いて来たことが証明することができる。

ミャンマー人はタナッカーを美容のためだけではなく薬としても用いており、宗教儀式にさえも用いる。

子供たちにタナッカーを塗ってやりながら、タナッカーは腹の調子を良くすると言って、タナッカーを舌の上に指で一すくい乗せてやる習慣がある。ミャンマー人の子供たちのほとんどがタナカを食して大きくなったということができる。皮膚病や火傷に、タナッカーを塗る習慣がある。夏にはセイロンテツボクの花芯とミサキノハナの干し花をタナッカーに混ぜて塗るとあせもが治ると考えられている。

僧侶の葬儀では、タナッカーの木片が僧侶の亡骸を荼毘に付すための薪として供えられる。仏像の顔を洗う水を供える場合にも、タナッカーをその水の中に入れて捧げる。

このようにミャンマーらしさ、ミャンマー様式をそなえており、ミャンマー文化と密接な関わりのあるミャンマータナッカーは現在不確実性に直面している。タナッカーの主要な産地では、戦火が上がっており、タナッカーの種子の栽培と市場は絶滅寸前の状況に至っている。

実際のところは、データによれば、クーデターが起こる前からミャンマータナッカーの市場の状況はさほど好調ではなかった。ミャンマータナッカーは複数の問題に直面していた。

主な問題
ミャンマータナッカーが直面している問題は、次世代の若いミャンマー人女性がタナッカーを塗る習慣が衰退していることに加え、タイから輸入されたタナッカーを原料とする製品にも起因している。タイでは2017年頃からタナッカーを主原料とする新たな化粧品の生産が始まった。タイのタナッカー製品は化学的手法で作られたタナッカー香料が配合された製品がほとんどであり、天然タナカを原料とするものはごくわずかである。タナッカーの含まれないタナッカー製品が本物のタナッカーの栽培農家を苦しめている。タナカは成長が遅い種類の樹木である。販売ができる状態になるまで待たなければならない。手入れや維持の費用が高い。そのためタナッカー栽培農家は販売可能な状態に達するまで資金を投資しなければならない。

そのような状況において、市場で簡単に手に入るタナッカー製品が使用されるようになったため、タナッカーの木片を石板で擦って塗る習慣は徐々に衰退している。

タナカの消費量は少なくなっている。販売可能な状態にあるタナカの木片はもう市場での需要はなくなった。通常の大きさのタナカの木1本を15,000チャットほどの値をつけるほどまでに状況が悪くなって行った。また政府によるタナッカー関連の製品への規制も弱まった。

そのため、タナッカーは短期間に利益が得やすい黄麻取って代わられた。
「かつてはタナッカー農園の所有者を誰もが羨望の眼差しで眺めていた。今ではタナッカー市場はつぶれてしまい、タナッカーの木の代わりに黄麻を植えざるを得なくなった。少しだけ残して。家族の遺産としての愛着があるからだ。ただ、高値をつけることはできない。このように市場が潰れてしまったのはクーデター前からだ。今はもっと状況が悪くなっている。皆、家も財産も失ってしまったから、タナッカーも黄麻もだめになってしまった。」とミャイン郡のタナッカー栽培者であったマ・ヌーヌーが話した。

タイの動き
タナッカー製品を生産し、タナッカーの樹も栽培するようになったタイの人々は、ミャンマー人のように石板でタナッカーの樹皮を擦り、汁を肌に塗る文化はなかったものの、タナッカーを乾燥させ粉末にしてスキンケア、ボディスパ、スクラブのような形で使っていると言い始めている。

タイはタナッカーを一つの製品として世界中に輸出できるよう、タナッカーの学名hesperethusa crenulateでASEAN化粧品協会(ASEAN Cosmetic Association)への登録に向けて取り組んでいる。

登録に成功し、World Plant Listや化粧品原料国際命名法(International Nomenclature Cosmetic Ingredient INCI Name)のリストに名前が登録されることになれば、タナッカーはタイ起源の樹木ということになってしまうだろう。

INCI名とは、世界中への輸出を可能にするTrade Name Registerである。INCI名がなければ、貿易する資格がなく、輸出することができない。INCIとしても、美容関連の植物に関して、は正確な化学的根のある拠証拠を提示し、その証拠が十分なものであるならば登録を認める。

したがって、タイとしては、タナッカーをINCI名に名前を登録できれば、タナッカーを世界中に安心して輸出することができ、世界からもタナッカーといえばタイから購入することになるだろう。タナッカーの木は、タイ起源のものになってしまう可能性がある。

タイの動きとミャンマーの困難
タイの動きを阻止するにはミャンマーには困難が1つある。その困難はミャンマー語の辞書では、タナッカーの学名が、hesperethusa crenulateではなく Limonia Acidissimaとされていることである。このようにタナッカーの学名を修正することができていなかったため、タイの申し立てに反論するに当たって困難に直面しているのだ。

もうひとつの問題は、タナッカーという発音が、タイ語では顔に塗るを意味するということだ。英語ではThanakaと綴られる。

ミャンマーではタナッカーというのは「タナカー」という単語に由来している。「タナ」は「不清潔」「みすぼらしさ」、「カー」は「取り除く」という意味であるため、タナカーというのは良くない汚れを取り除くという意味になる。その「タナカー」から「タナッカー」へと変化したのだ。英語ではThanakhaと綴られる。

しかし、現在タナッカーを英語でグーグル検索すると、ウィキペディアにはじまり、タイの綴りに従ってThanakaのみが使用されているのがわかる。

このことは、ミャンマーのタナッカーにとって更なる大きな打撃となっている。ミャンマーに長年存在してきた遺産が、現代になって他人に奪われ養子にされてから、良い評判を得るようになったというのも考えものだ。

無形遺産
ミャンマーがタイの先手を打つためには、タナッカーを無形文化としてユネスコに登録しなければならない。ユネスコに登録されればINCI名のことで恐れる必要がなくなる。そうなれば、タナッカーはミャンマーの所有となるのである。

そうした取り組みは、ミャンマーのタナッカー栽培をも復活させる可能性がある。そのような期待のもと、民主派政府の統治下で2020年3月30日にタナッカーについて、ミャンマーの無形文化遺産としてユネスコに登録申請がなされた。

しかしミャンマーは運に恵まれなかった。2021年12月18日に行われた無形文化遺産保護委員会の第16回会議でタナッカーについてなされた申請内容に情報や証拠が不十分であったため、無形文化遺産に認定する要件をまだ満たしていないという決定が下された。

ミャンマーのタナッカーはタイ所有になってしまうのか
このタイミングでタイ側がINCI名に登録できてしまったら、ミャンマーとしては、タナッカーを失うことになりかねない。タイは、タナッカーが自分たちの無形文化遺産ではないことを理解しており、ユネスコへの登録にも関心がない。主に彼らが求めているのは、INCI名を獲得して市場シェアを占有することである。

市場占有率が拡大すれば、タイとタナッカーはセットという形になる。そのようなことは、これは、間接的にタナッカーが奪われることを意味する。

去る2024年12月5日には、ミャンマーの水かけ祭りがユネスコの世界無形文化遺産として登録された。誇るべき出来事として、国にとって明るい兆しとなるはずであったこの一件は、今日のミャンマーの危機的状況下において希望のない出来事として、影をひそめてしまった。

ユネスコに登録された「ミャンマー水かけ祭り」にさえ望みがないのであれば、ましてやまだ登録されていない無形文化のタナッカーについては望みなどあろうはずがない。

タナッカーを失うこととなれば、文化的遺産を失うことになる。歴史的な価値を失うことになる。社会的伝統を手放すことになる。私たちの固有性を失うことになる。

タナッカーとミャンマーは切り離すことができない。しかし、多くの家や財産が破壊され失われている荒れ果てた土地で、タナッカーの呼吸は弱々しく、もはや頭を起こすこともできない。


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翻訳者:A.I,F.K,R.H,
記事ID:7092