建設時の写真に見るボスフォラス第一橋―42年前の今日着工
2012年02月20日付 Zaman 紙

今日はイスタンブルのボスフォラス海峡を初めて繋いだボスフォラス第一橋の着工から42年目にあたる。

ヨーロッパをアジアと結びつけるボスフォラス第一橋はベイレルベイの架橋位置で、時のジェブデト・スナイ大統領によって1970年2月20日に着工式が執り行われた。

カバタシュとカドゥキョイから出発した2隻の市内定期フェリーは、トルコ各地からの来賓を乗せ、セレモニー会場に送り届けた。セレモニーは21発の祝砲が撃たれ開始された。

建設過程を経て、最終準備と点検が行われ、橋は1973年10月30日正午にトルコ共和国建国50周年を記念して、政府式典と共に開業した。

開業当日は28,126台の車が通ったが、この数は402艘のカーフェリーの積載可能台数に匹敵した。1997年12月29日までに、ボスフォラス第一橋は10億台の車が行きかう舞台となった。

ボスフォラス第一橋の建設には4億4000万リラが投入された一方で、連結道路のための用地買収も合わせるとその額は約21億リラにのぼった。

橋では初めの10年間で9500件の交通事故が起きた。このうち一番初めの事故は、開業当日に橋のオルタキョイ橋脚で、一台の自動車がファールク・アッティラさんに衝突し、ファールクさんが足に怪我を負うというものであった。

開業当初の通行料は、自動車は10リラ、歩行者は1リラだった。

橋の開業後数年間は歩行者も通行可能だったが、自殺や交通事故の増加により1977年12月1日に歩行者は通行禁止になった。

橋は1979年に初めて開催された大陸間マラソンを主催した。今日、ユーラシアマラソンの名で知られているこのマラソンは、世界で2大陸間を走る唯一のマラソンという特徴を有している。

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( 翻訳者:百合野愛 )
( 記事ID:25623 )