チュニジア:スィブスィー大統領の逝去について(1)
2019年07月28日付 al-Quds al-Arabi 紙
■スィブスィー:民主主義を守った「マフザン」の男
【社説】
チュニジア共和国のベージー・カーイド・スィブスィー大統領の逝去は、現代チュニジア史における最も危険な段階が終焉を迎えた印であった言えよう:すなわちそれは、深刻に分極化し、国家の独裁体制への逆行、あるいは少なくとも内戦状態への回帰を目指す大きな企てが存在したアラブ世界において、民主主義が確立された瞬間であった。
当時のスィブスィー大統領は、現代チュニジア史のみならず、現代アラブ全体史の草創期において、予想されたあらゆる批判をものともせず、合理的な国民的合意を形成することができる唯一の指導者だった。
おそらく、チュニジアやアラブにとってスィブスィー大統領という一例の重要性を最も顕著に示す証拠は、彼がアラブ諸国の大半の指導者と一線を画す点である。つまり、彼の逝去が破壊的な内戦の誘因となることはないという事実だ。なぜなら、彼は民主的に選出されたアラブ人大統領であり、革命後のチュニジアに生まれた法治国家の中心人物の一人であったからだ。すなわち彼は、武力によってしか打倒し得ないような独裁政権の長ではなかった。
しかし、スィブスィー大統領の例の独自性は、もともと「マフザン」(訳注:モロッコの国家運営の中枢を担う政治勢力のこと。ここではチュニジアが同じマグレブ諸国であることを踏まえ、専制的であった旧ベン・アリー体制を皮肉る用語として用いられている)あるいは「ディープ・ステイト」に帰属していた経歴を持ちながら、その後一転して民主主義の強化に寄与したという彼の長い政治史の中にも表れている。
(2)に続く
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( 翻訳者:前田悠作 )
( 記事ID:47314 )